2022年11月26日(土)

近現代史ブックレビュー

2021年5月17日

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筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)など著書多数。

戦後史最大の謎を繙く

 最後に「戦後史最大の謎」憲法9条発案者は誰か、という問題に両著はどのような結論を導いているのかを見ていきたい。(ただ、その際、断っておきたいが、以下は歴史の客観的研究に関わるものであって、現在の護憲・改憲問題とは直接的関係はない。)

 両者ともよく調べて検討しているが、戦前以来の幣原の平和と安全保障に関する行動・発言から結論を導いた種稲著をまず見ていくことにしよう。「戦後史最大の謎」にそこではどのような結論が出されているか。

 未知の読者のためにまず基礎知識を書いておきたい。憲法9条の発案者については、それを当時の首相幣原喜重郎とする「幣原喜重郎起源説」とそれを否定する「非・幣原喜重郎起源説」とがある。

 幣原喜重郎起源説の最大の論拠は、1946年1月24日、マッカーサー・幣原会談が発案の基点と言われる中、マッカーサー・幣原という2人の当事者のうちマッカーサー自身がそう発言しているからである。いくつかあるが、米国上院でそれを証言し(1951)、さらにそれを自著『マッカーサー回想記』(1964)で明言している。当然のことながらこれは広汎に広まった。会談の際、幣原は軍事機構の否定を含む戦争放棄を提案したとマッカーサーはいうのである。

 これに対し、非・幣原喜重郎起源説の有力なものとして古関彰一『日本国憲法の誕生 増補改訂版』(岩波現代文庫、2017)がある。古関氏は、現9条原案を含むGHQ案が日本側に提示された時、交渉に当たった吉田外相・松本国務相・白洲終戦連絡中央事務局参与は、この前後首相の幣原が自分の提案のごとき動きを一切しなかったと証言していることなどを論拠にしている。

 ただ、それではマッカーサーは全くの嘘を言ったのであり、幣原は全く何も言わなかったのか。これまでの資料を詳細に検討し、非・幣原喜重郎起源説をまとめたのは佐々木高雄『戦争放棄条項の成立過程』(成文堂、1997)である。紙幅の関係で紹介は略すが、これは資料の検討のみに専一化した非常に優れた成果である。

 これをさらに掘り下げ、戦前からの幣原の軌跡等をもとに全体像を立体的に明確にし、新たな非・幣原喜重郎起源説を打ちだしたのが種稲著である。

 まず、幣原が後年、信頼できる中学時代からの友人にマッカーサーとの会談で語ったことをまとめた「羽室メモ」によると、幣原が戦争を放棄することを提案するとマッカーサーは感動、「急に立ち上がって両手で手を握り、涙を目にいっぱいためてその通りだと言い出したので」幣原は「一寸びっくりした」という。そして幣原はそれを「世界に声明する」ことを述べ、両者は共鳴して会談を終えたと記録されている。すなわち、幣原は確かに戦争放棄とそれを声明として出すことは提案したが、9条2項の戦力放棄については一際触れていないのである。

 してみると、戦争放棄声明案を「憲法」にまで組み込んだのはマッカーサーと考えられるということである。幣原は、戦前から国際組織による紛争解決システムとそのための有効な制裁を「戦争を全滅」させる前提条件としていたが、軍備撤廃ということを語ったことはなかった。

 また、幣原は外交の責任者であった時代、侵略的と見られる日本の負のイメージを払拭するため平和主義を外交カードのアピール戦術としたことはよくあったが、国際機関による集団安全保障さえ一貫して機能しないと考え慎重であった。

 「利害得失を離れて外交というものはない」という点では一貫した現実主義者であった幣原が、戦争放棄声明を考えたのは原爆の存在によるものと思われる。幣原は、原爆の出現により戦争ができなくなったという趣旨を当時語っていることがあるが、いくつかの証拠から、大量破壊兵器の出現によりもう大戦争はできないと悟り、核抑止力時代を予見し「声明」を出すことを考えたとみられる。第1回の国連安全保障理事会の主要テーマは原子力の国際管理問題であった。

 幣原は外相時代から多用した外交カードのアピール戦術としての平和主義をマッカーサーとの会談で使用したのだが、マッカーサーはこれを利用し、国家の戦争権を否定し、軍備も禁止し日本の安全を「崇高な理想に委ねる」ことにしたのだ。

 幣原は、1月30日の松本国務相の委員会が作った憲法案審議の閣議で、軍条項について、「いつか軍は出来ると思うが今、之に入れることは刺激がつよすぎる」とし、総選挙を前にGHQとの折衝に「一,二ケ月も引かつてしまう」ので軍備保持の理解を求めることにとどめている。石黒法制局長官も憲法の規定はなくても一般法令で軍の設置は可能とした。また、翌1月31日の閣議で幣原は、帝国憲法13条の宣戦・講和権の維持も主張している。

 9条原案を示された後は、(後年)民政局員ワイルズに「戦争放棄条項を見て驚いた」、「趣旨をマッカーサーに話したが、憲法に入れることまで言わなかった」と明言している。

 ここがポイントであり、あらためて結論的に言うと、幣原の個人的声明アイデアをマッカーサーが憲法に作りかえるという根本的改編を行ったということなのである。

 1950年1月1日、マッカーサーは、1948年3月6日の国家の戦争権否定(自衛権否定)の文脈で新憲法を説明した声明を翻し、憲法は自衛権を否定しておらず憲法9条は日本人が考え出したものと声明した。そしてホイットニー民政局長が、具体的には幣原喜重郎が提案しマッカーサーが容認したものと補足説明した。このホイットニー民政局長の補足説明が公的幣原起源説の初出である。

 マッカーサーは新憲法で日本を非武装化させソ連を講和会議に引き出す戦略だったが、米ソ冷戦の深刻化の結果、米陸軍省・統合参謀本部は共産主義勢力の台頭下日本の再軍備・基地設定を強く求めトルーマンの支持を得た。立場の悪化したマッカーサーは日本非武装化の責任を他者に転嫁する必要に迫られ、その格好のターゲットとされたのが幣原喜重郎であった、というわけである。

 幣原が、戦争放棄を憲法に組み込んだと自ら書いたのは『外交五十年』(1951、4)だけであり、講和条約を前に、GHQの幣原喜重郎起源説を否定することはできなかったのである。

 「占領されていたら仕様がないではないか」「戦争放棄はわしから望んだことにしよう」「僕が思う存分書いたら、新聞は発行停止をくうかもしれませんよ」という幣原の一連の発言はそれを裏付けるものであろう。

 このように種稲著は、憲法9条発案者幣原喜重郎起源説を否定する有力な論拠を提示した重要な書物となっているが、幣原の外交官としての軌跡を追及することにより結論を導いていることがユニークなのである。

 一方、熊本著も、2月21日にマッカーサーに説得されて幣原は自分が発案者となることに転じたとする(この根拠はあまり明確とは言えない気がするが)などの違いがあるが、大筋では同じマッカーサー起源説になっている。

 そして、幣原が軍の残置を構想していたことを以下のように指摘している。2月8日に憲法改正要綱案をGHQに提出した際、松本委員長の付した説明書には軍の存在を明記しており、幣原はこれに賛成している。また、そのしばらく後2月21日と思われる対日理事会英連邦代表のウイリアム・マクマホン・ボールの日記に、幣原がマッカーサーに「どのような軍隊なら保持できるのですか」と尋ねたやり取りがあるが、幣原が9条発案者なら考えられない出来事である。

 なお、ケーディス民生局次長が語っているように、憲法を作成する際のマッカーサー原案にあった「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも」放棄する、と言う箇所は「あまりに理想的で現実的ではないと思った」ケーディスにより削除されたのである。したがって自衛権保持論にとってはいわゆる芦田修正よりもむしろ重要なのはこの論点なのである(熊本著及び大石眞「日本国憲法」筒井清忠編『昭和史講義・戦後篇上』ちくま新書、参照)。

 以上、両者とも9条はマッカーサーの発案によるものであり、幣原非発案説という結論は同一である。幣原発案説の論拠とされてきた「資料」がいかに怪しいものかは両著によって完膚なきまでに明らかにされている。もはや、これ以外の主張すなわち幣原発案説は研究者の検証に堪えるものではなくなってきたと言えるのではないだろうか。

 以上に見られるように、両著とも、最近の近代日本外交史の研究を大きく進めた優れた成果である。広く読まれ多くの議論が起こることを期待したい。

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◆Wedge2021年6月号より

 

 

 

 

 

 

 

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