2024年2月21日(水)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2021年11月30日

 そんなこんなで、おそらく武田軍の鉄砲は開戦当初の一斉射撃で弾薬ともに尽きてしまっただろう。しかも、銅も足りずに陶製や鉄製などの鉄砲玉も使用したとすれば(鉄製のものは長篠城内に撃ち込まれたと思われる実例がある)、殺傷能力も著しく劣る。

 これでは、9時間ほどにわたって間断なく鉄砲を撃ち、無限とも思える量の鉛玉を武田軍に浴びせ続けただろう織田・徳川連合軍側の印象に残らなくても無理は無いのである。

 逆にいえば、勝頼が大損害を受けながらも配下の軍勢に突撃を命じ続けたのは、ここで無理にも織田・徳川連合軍に大打撃を与えておかなければ、結局はジリ貧になって滅亡してしまうという冷静な読みと危機感があったからだと見るべきだろう。

 織田・徳川連合軍の圧倒的な物量に敗れた勝頼は戦後「鉄砲1挺につき300発分の弾薬準備」と命じているが、大敗を喫して威信低下し経済的にも打撃を受けた武田家臣団がノルマを達成できたとも思えない。

20億と2億という国力の差

 話を元に戻して、最後に銃弾と火薬のコストについて触れておこう。

 勝頼が戦後に「300発分用意しろ」と宣っていることから、長篠合戦の織田軍も1挺あたり300発分用意していたとする。

 まず火薬だが、3000挺×300発で18億円程度、鉄砲玉は同じく1億4000万円。これは材料費のみで、製造加工費は別なので、あれこれ合わせると最低でも20億円以上がかかっていた計算となる。

 かたや武田軍は10分の1の30発分しか用意できなかったと仮定すると2億円程度と計算できるから、ここに両者の国力の違いが明確な数字となって現れてくるのだ。

 鉄砲の数だけでは見えなかった、マネー面から見た長篠合戦、一巻のお終い。

【参考文献】
改訂増補 長篠日記(長篠戦記)』(鳳来町立長篠城趾史跡保存館)
別冊淡海文庫5 国友鉄砲の歴史』(湯次行孝、サンライズ印刷出版部)
『信長公記』(角川文庫)
甲府市史 史料編古代・中世

   
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