2024年12月5日(木)

溝口敦のさらばリーマン

2021年12月22日

 
コロナ禍で先を見通せない経営環境が続き、多くの人が〝選択〟に迫られている。月刊誌『Wedge』の人気連載「溝口敦のさらばリーマン」から、海上自衛隊から和服業界に飛び込んだ起業家の決断へのストーリーを紹介します(肩書や年齢は掲載当時のもの)。「溝口敦のさらばリーマン」の過去の記事はWedge Online Premiumでも読むことができます。
原 巨樹さん(Naoki Hara)
京ごふく「二十八」代表取締役(38歳)

 (※肩書や年齢は掲載当時のもの)

 原巨樹さん(38歳)は防衛大学校出身の呉服屋さんである。珍しい取り合わせだが、それも高価なことで知られる京友禅をオーダーメイド専門で手掛けている。

 原さんの会社「京ごふく二十八(ふたや)」は京都の烏丸通りにあるが、原さん自身は大分市に生まれている。呉服屋としては東京で修業した。開業まで京都の職人なども訪ね歩いたが、それまで密接につながることはなかった。京の呉服業者としては、これまた異色だろう。

 父親は大分市の小さな建築業者だった。下請けを束ねて住宅建設を請け負う。かといって、自らトンカチを振るう大工ではない。職人というよりむしろ住宅のプロデューサーだったが、父親のこの部分が原さんの現在に生きていそうだ。やっていることは各種の職人に顔をつないで、お客の願い通りの仕事を発注、美しい和服をあつらえるプロデューサーなのだ。

 幼稚園から中学まで大分大学教育学部附属で通した。高校は進学校の県立大分舞鶴高校に進んだ。小学校3年から高校3年まで空手を続け、段持ちである。高校3年のとき、全3年生が模試的に防衛大学校の入試を受けた。原さんは試験に合格したが、だからといって進学するつもりはなかった。祖父は職業軍人だったが、別段、軍事色が強い家庭ではなかった。

 原さんは建築方面も考えたが、防大の教練で自分を鍛えるか、という気持ちが起きた。幸い合格したのだから、防衛大に進もうとなった。

 キャンパスは横須賀市走水(はしりみず)にあり、全員が学生舎に住んだ。身分は特別職の国家公務員であり、被服、寝具、食事が支給され、毎月、学生手当として約11万円、6月と12月には期末手当(ボーナス)約35万円も支給された。

 2年目に陸、海、空の進路を選ぶ。原さんは海自を選んだ。海上要員訓練として航海概論や水泳、気象、信号通信、海事法規、カッター操法などを学んだ。2003年、防大を4年で卒業、海上自衛官(海曹長)として広島・江田島の幹部候補生学校に入った。1年間教育訓練を受け、卒業と同時に3等海尉に任官され、国内巡航と遠洋練習航海で世界を回った。

 ハワイにも寄港した。上陸時にはきちんと海自の制服を着用しなければならない。このとき日系のおばあさんに声を掛けられた。

 「だらしないナリをした日本の若者が多いけど、あんたを見て安心したよ。日本にはピチッと服を決めた若い人もいるんだ」


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