経済の常識 VS 政策の非常識

2022年2月7日

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原田 泰 (はらだ・ゆたか)

名古屋商科大学ビジネススクール教授

1974年東京大学農学部卒業、博士(経済学)。経済企画庁、大和総研チーフエコノミスト、早稲田大学特任教授などを経て、2015年から日本銀行政策委員会審議委員を5年間務めた。20年4月より現職。『なぜ日本経済はうまくいかないのか』(新潮選書)など著書多数。
 

 岸田文雄首相は、池田勇人元首相が創立した自民党の名門派閥、宏池会の出身で、池田首相を尊敬しているとのことである。では池田元首相とは何をした人なのだろうか。

 もちろん、所得倍増計画で高度成長を成し遂げた人であるとの答えが返ってくるだろう。しかし、どうやって? 池田内閣時の経済と政策を振り返ってみたい。

(bee32/gettyimages)

高度成長期の金融政策

 図1は1955年から75年までの経済と通貨供給量(Ḿ1)を示したものである。60年から64年の池田内閣時代の5年間(59~64年)に、年平均で実質国内総生産(GDP)は10.7%、名目GDPは12.8%、消費者物価は5.5%で増加した。

(出所)内閣府「長期経済統計」、経済企画庁「現代日本経済の展開」1976年 写真を拡大

 それ以前の55年から59年まででも実質GDPは年平均で、7.7%で伸びていたのだから、高度成長は池田内閣なしでも実現できたと言えるかもしれない。しかし、成長率は増加し、高度成長は73年まで続いたのである。

 物価はそれ以前の4年間(55~59年)では1%の上昇だった。あえて言えばデフレ気味だったのである。池田内閣の時代には年率5%の物価上昇の中で実質GDPが10.7%で伸びたのである。

 5%の物価上昇は高すぎると現在は思うだろうが、実質GDPが10.7%伸びる中では大きな問題にはならなかった。それが72年まで続いた。ところが消費者物価は73年に11.7%、74年に23.2%となり、実質GDPの成長率も74年にはマイナス1.2%となって高度成長は終わった。

 そうなった大きな理由はḾ1の伸びにある。図に見るように、Ḿ1は物価とほぼ同じように伸びていたが、71年以降伸びを早め、それが1~2年の遅れで急激なインフレをもたらした。もちろん、これには73年の石油ショックの要因も大きいが、このようなM1の急激な伸びがなければ30%というインフレにはならなかっただろう。すなわち、池田内閣の経済政策は5%の暗黙のインフレ目標の下での最大限の実質成長だったのである。

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