禁煙へのアプローチ
禁煙に導く治療には色々な方法がある。薬を用いる治療法の一つに、喫煙以外の手段で体内にニコチンが入るようにしてその投与量を徐々に減らしていくことでニコチンの離脱症状(イライラ、抑うつ、集中力低下、食欲亢進、喫煙欲求など)を抑える「ニコチン置換療法」がある。ニコチンの投与ルートの違いから、ニコチンガムと皮膚に貼り付けるニコチンパッチが利用できる(海外では鼻腔へのスプレー、口からの吸入、甘味がついた錠剤なども利用可能)。
薬によるもう一つの方法は、バレニクリン(チャンピックス®️)という内服薬で、これは脳にあるニコチン受容体(ニコチンが結合してドパミンを放出するソケット型のスイッチ)と強く結合してニコチンの結合を妨害してその作用を弱める。さらにバレニクリン自身がニコチン受容体を弱く刺激してドパミンを少量放出させるので、喫煙によって体内に入るニコチンの作用を減少させるとともに、喫煙によるニコチンの離脱症状を緩和する。
禁煙への治療法については、2018年に発表された『禁煙支援マニュアル(第二版)増補改訂版』(厚生労働省健康局健康課編)や、2021年発行の『禁煙治療のための標準手順書(第8版)』(日本循環器学会、日本肺癌学会、日本癌学会、日本呼吸器学会)も参考になる。しかし家庭医は、こうしたマニュアル的な事項以外に、患者の気持ちにも個別に配慮して、患者を取り巻くさまざまな要素(コンテクストと呼ぶ)の影響を含めて総合的に判断していく。
「健康上の問題の多くは、それらについてのコンテクストの中で見ないかぎり完全に理解することはできない」と言われている。もちろん、さらに利用できる最新の臨床研究のエビデンスがないかも確認するようにしている。
T.K.さんの場合もコンテクストの影響は大きかった。喫煙習慣「再発」のきっかけは、コロナ禍での在宅勤務の増加であり(職場は禁煙だが自宅だとついつい吸いやすい)、そして再度禁煙をしようと思ったきっかけは、最近奥さんの妊娠がわかったからだった。自分がタバコを吸うことによって奥さんが受動喫煙して赤ちゃんに影響することを避けたい、という心遣いがT.K.さんの行動を起こしたのだ。
ちょうど今月の初めに、禁煙治療についての多数の新しい臨床研究のエビデンスを評価した米国の論文が発表されていたので、私はT.K.さんにその概要を伝え、それらを参考にしてニコチン置換療法、バレニクリン、そして行動科学的なアプローチの効果と副作用、費用の比較や組み合わせについて相談していった。
やっかいな電子タバコ
「先生、電子タバコはどうですか。煙も出ないし、ニコチンも入ってないんですよね」
「電子タバコですね。実はこれがなかなか複雑なんです」
日本では「電子タバコ」と「加熱式タバコ」があり混乱を招いている。「電子タバコ」とは、さまざまな味や香りのリキッド(ニコチンもタールも含まれていない)を電気で加熱して気化させた蒸気を吸うもので、リキッド式、カートリッジ式、使い捨て式がある。
「加熱式タバコ」は、タバコ葉を含むリキッドを電気で加熱して気化させた蒸気を吸うもので、蒸気にニコチンは含まれる。ただ、燃焼はさせないので、タールなど健康に有害な化学物質が蒸気に含まれることは紙巻きタバコと比較して少なく、煙もでない。タバコ特有の嫌な臭いも少ない。
米国では、この種のものは「e-cigarettes」と総称されていて、その中にニコチンが入っているものと、入っていないものがあり、それぞれ多くの種類がある。英国ではvaporise(気化する)に由来する動詞vapeを用いて、電子タバコを吸うことを「vaping」と呼ぶ(以下、まとめて「電子タバコ」と表記する)。電子タバコの健康への影響については、現時点でまだ質の高い臨床研究でのエビデンスは少ないが、最近の主な動向は次の通りである。