縄張り争いを避ける特別ルール
正解は、このルールは、「管外の簡易宿所」に限定したものだからである。
つまり、実施機関の外にある簡易宿所を利用した場合に限り、この「廃止までに一定期間様子をみる」というルールが適用されるのである。たとえば、今回の事例が、足立区外、たとえば台東区にある簡易宿所を利用していたのであれば、ルールに則って、少なくとも2週間は生活保護の廃止処分はできなかった。
住居喪失者が利用するのは、ビジネスホテルのほか、無料低額宿泊所、簡易宿所、カプセルホテル、ネットカフェ、サウナなど多様である。足立区の事例は、「区外のビジネスホテル」であった。管外という点では該当したが、簡易宿所ではなくビジネスホテルだったので、このルールは適用されなかったのである。
東京都福祉保健局保護課に電話して取扱いを確認したところ、果たして「この部分は管外の簡易宿所だけが対象で、ビジネスホテルや無料低額宿泊は対象外」との回答だった。併せて理由も聞いたところ、「都内の実施機関との話し合いで、こうしたルールを設けている」との説明があった。
東京都内で長く生活保護の業務に携わり、現在は民間の立場で生活困窮者支援に携わる田川英信さん(67歳)に、意見を聞いてみた。「東京都特別区では、住居喪失者に対する生活保護の決定をどうするか話し合いがもたれています。こうした話し合いのなかでローカルルールがつくられ、それが東京都運用事例集で明文化されたのでしょう」「このルール自体は、古くからあるものです」。
簡易宿所とは、一般には「ドヤ」という通称の方が通りがよい。ドヤは日雇い労働者が多く住む地域、東京でいえば山谷と呼ばれる台東区北部に集中している。
東京都では、簡易宿所で暮らす人への生活保護を「ドヤ保護」と呼ぶ。無料低額宿泊所がなく、ビジネスホテルやカプセルホテルの利用が一般的ではなかった一昔前は、住居喪失者が生活保護を利用するときは、ドヤを利用することが多かった。
ドヤ保護では、利用者の失踪は珍しくない。実施機関が、いなくなったらすぐに廃止したいと考えるのは今も昔も変わらない。
他区から紹介されて簡易宿所を泊まった住居喪失者が「失踪」を理由に生活保護を廃止され、路上で倒れるなどしてすぐにまた生活保護になる。この場合、実施責任を負うのは簡易宿所がある台東区となる。台東区としては面白くない。東京都に、「何とかしてくれ」と要望することになる。
他区としても、簡易宿所が利用できなくなるのは困る。こうして、「お宅には迷惑をかけないから、簡易宿所を利用させてくれ」という紳士協定が結ばれることになる。市区町村の縄張り争いを避けるために、東京都は特別ルールを設けたのである。
これは、利用者からみれば不合理極まりないルールである。足立区の事例は「管外の簡易宿所」ではなく、「無料低額宿泊所や簡易宿所等」という表現なら、廃止にされることはなかった。何なら「簡易宿所等」という「等」の一文字だけでもよかった。
意図したものかどうかはわからないが、足立区の検証報告では、この問題には一切触れていない。果たしてこれで問題解決につながるのか、筆者としては懸念をもたざるを得ない。