公判で急展開した世論
事件の発生から約1年後の33年5月、秘されていた事件の概要が公表された。そして同年7月に陸海軍の軍法会議が開廷する。興味深いのは、殺害された犬養首相への同情論が強かった世論の動向が、公判の開始以後に急転回したことである。被告である軍人たちの助命を嘆願する運動が全国的に広がり、同年9月末までに70万筆を超える署名が提出された。
世論が沸いた理由の一つは、被告たちの動機が法廷で明らかにされたことによる。彼らは口々に「犬養閣下には何の怨みもない」と言明した。そして農村の深刻な窮乏と荒廃を陳述し、政治の腐敗を徹底して糾弾した。
国民の反響は大きかった。裁判を担当した検察官に届いたある女性工員の手紙を紹介しよう。それまで首相の襲撃に反感を抱いていた彼女は、若い被告らの「社会に対する立派なお考え」をニュースで聞いて、それまでの誤解を「まことに恥ずかしく」感じたという。そして凶作地出身の身の上を語り「私共世の中から捨てられた様な貧乏人達の為にどれだけ頼母しいお働きであったか」との感慨の念を、わずかばかりの金銭に添えて書き送った。
人々の不満や絶望の背景には、当時の日本経済の深刻な状況があった。20年に起きた第一次世界大戦後の恐慌以来、日本は……
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