2024年11月23日(土)

インドから見た世界のリアル

2022年7月11日

 インドはソ連と事実上の同盟関係に入り、中国に対する戦略を進めてきたが、1991年にソ連が崩壊し、新たなパートナーを探していた。そのような中で、「インド太平洋」と「クアッド」は新たな選択肢を提供したのである。

 「インド太平洋」として広く見ると、中国と国境問題を抱える国がすべて含まれる。また「クアッド」は、「インド太平洋」にある影響力のある国で、中国を除くすべての国が加わる枠組みといえる。つまり、「インド太平洋」の中で、「クアッド」の協力を進め、中国に対抗するという戦略は、インドにとって魅力的だったのである。

 こうした戦略をインド国会で説明し、推し進めたのが、安倍元首相であった。インドにとって安倍元首相は、アイデアをくれる素晴らしい戦略家だったのである。

実行力も愛された

 安倍元首相が、インドから愛される第二の理由は、ただアイデアを出しただけではなく、実際に実現してきからだ。「クアッド」について言えば、2007年にいったん協力関係が進展した後、豪州が出ていってしまい、一旦停滞した。

 次に活性化したのは、17年である。つまり、「クアッド」に関しては、安倍氏が首相だった06~07年と12~20年の時期に進展し、安倍氏が首相ではなかったときには進展しなかったことになる。

 「インド太平洋」に関しても同じだ。この言葉が広く受け入れられたのは、特に米国のバラク・オバマ政権末期からドナルド・トランプ政権の時期である。安倍氏が首相だった12~20年の時期と重なる。インドは、安倍元首相が努力し、アイデアを実現させてきた、と評価している側面がある。

 実は、これと並行して、日印関係も、安倍氏が首相である時期に顕著に進展した。特に、インドが強く思い出すのは、17年のドクラム危機の際のエピソードである。

 17年、中国軍1万5000人が、ブータンと領有権を争うドクラム高地に侵入を開始した。ブータンを支援すべく、インド軍が投入され、印中両軍は4000キロメートルの国境全域で戦闘態勢に入った。

 そして、8月15日、ラダクで、両軍が衝突した。銃は撃たなかったが、石を投げ合い、取っ組み合いになり負傷者がでたのである。エスカレートすれば軍事衝突になるところであった。

 その時、8月18日、平松賢司駐印日本大使が、「力による一方的な現状変更を支持しない」と発表し、インドは歓喜したのである。この声明は、中国を名指しで非難したわけではないのの、中国軍がブータン側に侵入していることから、インドやブータン支持の声明ととらえられたからだ。

 しかも当時、米豪の声明は少し抑えられたものであったため、日本の声明の方が、明確なインド支持として捉えられたのである。こうした軍事的危機におけるインド支持の声明は、戦後の日本では前例がなく、安倍元首相の功績として、インドの印象に残っている。


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