バイデン政権は8月1日(現地時間7月31日)の朝に、カブールにおいてアルカイダの指導者アイマン・ザワヒリ(ビン・ラディンが2011年にパキスタンで殺害された後にアルカイダの指導者になった)を殺害したことを公表した。ザワヒリが隠れ家のバルコニーに立っていたところを無人機から発射した2発のヘルファイア・ミサイルで殺害したという。
ワシントン・ポスト紙は8月2日付の社説‘The Taliban gave al-Qaeda a haven. Again’で、ザワヒリにタリバンが庇護を与えていたことは厳しく暗い現在と将来を示唆する、と論じている。同社説は次のように言う。
・ザワヒリがタリバンの内務相ハッカーニの側近が保有する家に保護されていたことは、彼がタリバンの保護を得ていたことを示している。更に何人のアルカイダの要員がカブールの住宅街に巣くっているのか? 9.11の後の米国の目標はアルカイダがアフガニスタンに安息の地を見出すことを排除することであった。しかし、彼らは帰って来た――しかも安全のようである。これは米軍の撤退を導いたドーハ合意(タリバンは国際的テロ・グループと協力もしなければ、テロ・グループあるいはその構成員を迎え入れることもしないと誓約)への露骨な違反である。
・ザワヒリが滞在していたことは、新しいタリバン政権は1990年代の彼等の政権よりも恐らく悪いだろうことの兆候でもある。経済は急落している。タリバンはシャリアの解釈の許容範囲において女性に対する差別はないと誓っていた。しかし、実際には、タリバンは女性を枢要な政策決定機関から排除し、映画に出演することを禁じ、85万の少女が中等学校に通うことを止めさせ、女性の外出には男性の家族の同行を要件として課した。また、目を除いて体全体を覆う衣服の着用を命じた。
・バイデン大統領の無秩序な撤退が作り出したのは、アフガニスタン国民に対し、更には国境を超えて旧いリスクと新たな危険をもたらすタリバンの復帰である。
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当局者の説明によれば、今年になって、ザワヒリの妻、娘とその子供達がカブールの隠れ家に移転し、その後ザワヒリが合流したことを突き止めたという。それまで、ザワヒリは国境を超えたパキスタン側の部族地域に潜伏していたのではないかと推測し得ようが、彼の所在の把握にパキスタンのISI(軍統合情報局)が関与したかどうかは明らかになっていない――当局者は第三国の介在を否定していないが、コメントを拒否している。