2024年12月9日(月)

日本の漁業 こうすれば復活できる

2022年10月4日

北海道ニシンの潜在力

 「ニシン御殿」という言葉をご存知でしょうか? 今から約100年前、ニシンの漁獲量は年間50万トン前後もありました。大量に漁獲されたニシンは、今は昔の話ですが、北海道の沿岸で多くの雇用と富を生み出しました。

北海道のニシン御殿

 明治時代から1957年にニシンの魚群が消滅するまで、ニシンは北海道の水産業を支えていたといっても過言ではないでしょう。下のグラフは、北海道でのニシンの漁獲量推移を表しています。

(出所)左:留萌水産加工協同組合データより作成、右:水産研究教育機構 写真を拡大

 1897年の水揚げは97万トンと、実に100万トン近い量を誇っていました。北海道の主要水揚げ地であった留萌・小樽といった町は、出稼ぎでシーズン中には人口が大幅に増え、町中が活気に満ちていたそうです。数の子を取ったり、獲りすぎたニシンは肥料にしたりと、ニシン一色だったようです。

 ソーラン節もニシン漁が盛んであったこの頃に歌われたものです。しかし、1897年をピークに減少を始めたニシン漁は、その後も水揚げの減少が続き、極端な右肩下がりでニシンの資源は消えていきました。

 原因としては、乱獲、環境の変化、森林伐採などさまざまな理由が挙げられているようです。しかしながら、「科学的根拠に基づく数量制限なしに漁獲を続けたこと」が、広く世界に視野を広げると、最大の原因だったことが明確にわかります。「魚が減った原因はよくわからない」と、現実に目を背けてはいけません。

 ニシンがいなくなってしまった状況を表現した歌があります。昭和50(1975)年にヒットした石狩挽歌(北原ミレイ)です。2番の歌詞を要約してみると、「かつては100万トン近く獲れたニシンはどこに消えてしまったのだろう。ニシン御殿と呼ばれた建物も今では寂れてしまった。当時はよかった。ニシンが消えてしまったために町の灯は消えてしまった……」という内容です。

 同じように、ニシンを獲り過ぎて資源を大きく減らしてしまった例は、ノルウェーをはじめいくつもあります。しかし、日本との大きな違いは、乱獲を認めて資源管理を強化して現在に至ることです。資源が激減しているのに、次こそ「大漁」などという非科学的な発想は、彼等にはありません。

 ところで、ニシンの漁獲量は、上のグラフで見る通り、ほんの少しだけ増加傾向にあります。網目を少し大きくして、小さなニシンを獲らないようにしたようです。


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