「ジャパン・ナッシング」でも解けぬ警戒
とはいえ、このような日本脅威論も1990年代半ばをピークに日本の国力が減退していくと急速に聞こえなくなっていった。この変化をマスコミは、かつては「ジャパン・バッシング(日本叩き)」と盛んに言われていたのが、「ジャパン・パッシング(日本素通り)」と言われるようになり、ついには「ジャパン・ナッシング(日本とるに足らず)」となった、と書いた。
しかし、米国政府の日本への警戒が解けたわけではなかった。日本がアジアでリーダーシップを発揮しようとするとき、また、日本が中国と結ぼうとするとき、米国政府は強く反応する。1990年代後半のアジア通貨危機において、日本がアジア通貨基金構想を表明したとき、米財務省はそれを米国に対する挑戦と受け取り一気に潰しにかかった。
9.11同時多発テロの時には、自国が攻撃を受けた時には、いまだに米国が自国内の異質な要素に対していかに非寛容的になるかをまざまざと見せつけた。イスラム教徒が米国内で迫害され、イスラム系の女子生徒が独特の衣服のためにいじめにあった。イスラム系全員がテロリストではないが、テロリストは全員イスラム教徒だったという米政府高官の発言は、第二次世界大戦時の日系人強制収用のときの、日系人による破壊活動が起こっていないことはこれから起こる証拠であるという発言を思い起こさせた。
黄禍と病原菌を結びつけてみる見方も依然健在であることが示された。2002年秋から翌年にかけて、中国南部でSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行すると、米国内ではアジア人に対する嫌がらせが発生した。ニューヨークなどの大都市では、中国系住民がSARSに罹患するケースがいまだ報告されていなかったにもかかわらず、チャイナタウンでSARSが蔓延しているとのデマが広まった。この出来事は、100年以上前にサンフランシスコで見られた疫病とアジアを結びつける視線が、21世紀になってもいまだに根強いことを人々に痛感させた。
2010年には中国が国内総生産(GDP)世界第2位となり、日本は第3位に落ちた。それ以後中国は日本を一気に引き離し、米国の黄禍論の主対象はまた静かに日本から中国へと移っていった。その間に米国内では、ポリティカル・コレクトネスなど少数者への配慮が進み、そしてついにアフリカ系のバラク・オバマの大統領就任が実現するまでになり、人種差別は過去のものになるように見えた。
ところがそのような急激な社会の変化に危機感を募らせていた白人が、選挙期間中に人種差別的な発言を繰り返すドナルド・トランプを大統領に当選させた。トランプは、大統領に就任しても人種差別的な発言を止めず、そのことによってむしろ熱心な支持者を増やしていった。そこにコロナ禍が発生し、全米各地でアジアン・ヘイトが巻き起こった。トランプは、新型コロナウイルスをあえて「中国ウイルス」と呼ぶことによって、アジア人差別を煽った。トランプはアジア人差別に、ある種のお墨付きを与えたのである。トランプが大統領職から退き、民主党のバイデン大統領になっても、アジアン・ヘイトの流れは続いている。
果たしていま米国に蔓延しているアジアン・ヘイトは、人種平等に向け米国社会が徐々にではあるが確実に変化していく長い流れからの、一時的な逸脱なのか。それとも、米国社会の真下に赤く煮えたぎって流れる人種差別というマグマは、これからもずっと存在し続けるのだろうか。
戦後長らく日米同盟に対する日本側の懸念は、米国の戦争に日本が巻き込まれるのではないかという点であった。ところが近年は、米国は世界へのコミットメントを縮小させるように動いている。トランプ大統領に至っては、在日米軍の撤退までチラつかせた。そのためこれまでとは異なり日本側の日米同盟に対する懸念は、何かあった時に米国は日本を助けてくれないのではないかというものに変わってきている。
それは自国の安全保障を日米同盟に依存している日本にとっては極めて深刻な問題であるため、核武装を叫ぶ論や、中国への接近を主張する論もでてきかねない。米国は、あれだけ忌避してきた黄禍論という亡霊を、自らの手で現実のものとしてしまうかもしれない――こう考えるのは悲観的過ぎるだろうか。