高度経済成長期日本の「パールハーバー」
こうした中、日本は急速に復興し、日本製品が米国に溢れるようになると、日本脅威論が再び鎌首をもたげることになる。1971年5月10日号の『タイム』誌の表紙には、ブラウン管テレビに映し出されたソニーの創業者盛田昭夫が描かれ、その上には「日本のビジネスにおける侵略にどう対処するか」と大書されていた。日本製品の流入が、戦前の日系移民の流入と同様「侵略」と表現されたのである。
同号には、ニクソン政権高官の「日本人はいまだに戦争を戦っている。違うのは、今度はドンパチの戦争ではなく、経済戦争だということだ。彼らの当面の意図は太平洋を支配すること、それからおそらく世界を支配することだ」という発言が掲載されていた。ニクソン本人も1971年の演説において、日本との貿易競争を、「パールハーバーの暗黒の時代に立ち向かった挑戦よりもはるかに深刻だ」と真珠湾攻撃のメタファーを用いて表現した。
1980年代に入ると日本車を打ち壊す米国人労働者の映像がテレビでたびたび流されるようになる。同じ時期ドイツ車も米国市場になだれ込んでいたが、米国の労働者がハンマーを振るったのは日本車に対してであった。対日政策において穏健派と見られていたモンデール前副大統領(当時)が、このままでは米国人の子どもたちは将来、日本製のコンピュータの周りの掃き掃除をするくらいしか仕事がなくなると警告した。
1980年代末になり、ソニーがコロンビア映画を、松下電器産業(現パナソニック)がMCA(現NBCユニバーサル)を、といった具合に、日本企業がハリウッドの巨大映画会社を買収すると、米国内で批判の声が巻き起こった。米『ニューズウィーク』誌は、和服を着た女性の自由の女神像を表紙に載せ、そこには「日本がハリウッドを侵略する」と書かれていた。同じころ、三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを買収したが、そこは毎年ニューヨークで巨大なクリスマスツリーが建てられる風物詩的な場所であることもあって、米国の対日世論は敏感に反応した。
当時ニューヨーク在住のオランダ人の著述家は、ある米国人が「これが彼らの広島に対する報復なのか」と呟くのを聞いたという。実際は米国に対する同種の投資は他の西欧諸国によっても行われていたし、投資額もイギリスが日本を上回っていたにもかかわらず、それらに対する批判は特段起きなかったのである。
1989年の真珠湾攻撃の日には、全米各地の新聞に反日的な言説が踊っていた。フロリダのある新聞は、日本人を「悪意のある攻撃の加害者」と表現し、「手遅れになる前に目を覚ました方がいい」と米国人に注意を促した。マサチューセッツ州のある新聞は、「真珠湾を忘れるな」と題する黒枠の記事において、「日本が破滅的な地震に襲われるよう祈る」とまで書いている。