2024年4月27日(土)

MANGAの道は世界に通ず

2023年2月4日

 人の意識レベル(価値観)は時代とともに緩やかに上昇していくという、インテグラル理論よるスパイラルダイナミクスという心理モデルを本連載では説いた。

 現代思想家のケン・ウィルバーにより2000年に提唱されたもので、その精緻さや世界を捉える正確性から、特に海外における発達心理学や経営・人事といった分野でかなりの勢いで広がっているのが現状だ。

 さて、このモデルでは人々の意識段階を「色」によって表現しており、ベージュ → パープル → レッド→ ブルー → オレンジ……と変遷していくと定義しているが、今回はこのうち「レッド」がどういうものかを取り上げる。

『北斗の拳』(武論尊、原哲夫、集英社)

 一言でいうと、往年の名作『北斗の拳』(武論尊、原哲夫、集英社)の世界観だ。本作は1983年に連載が開始されたが、第二次世界大戦によってさまざまなものがリセットされ、スクラップビルドしていった日本において、その時代における中心的な価値観・美意識が表現されていると見て取れる。

 要するにレッドとは、「ザ・体育会系」――暴力と支配による縦社会、を表現しているのだ。

 『北斗の拳』の舞台は、世紀末に核戦争が起こり、世の中の全てが崩壊してしまった世界。既存のルールや常識が全て破壊され、食糧や水などの資源にも限りがあり、荒廃した大地で人々がどう生き延びていくのかを描いている。

 この時代には警察も法律も存在しないため、「力と強さ」がものをいう。「ヒャッハー!!」と意気揚々に駆け出すギャング・マフィア集団が蔓延り、弱い人たちを蹂躙して奪っていくのだ。正義の概念など、ここには存在していない。

 そこに現れたヒーローが、主人公のケンシロウであり、旅の過程で多くの人々を救うことになる。だがその方策は、さして悪役たちと変わらない。北斗神拳という圧倒的な拳法で敵たちを薙ぎ払い、容赦無く命を奪っていく。レッドの時代には話し合いなど不可能であるからこそ、「力には力」で対抗するしかないのだ。

 実は本作が連載されるまでに、日本では「スポ根」という分野が非常に伸びた。

『巨人の星』(梶原一騎 、川崎のぼる、講談社)、『アタックNo.1』(浦野千賀子、集英社)、『エースをねらえ!』(山本鈴美香、集英社)と、同時代でのヒット作は枚挙に暇がない。

 「練習中には猛暑の中でも水を飲まず、ひたすら気合で頑張る」ことが良いとされた、ザ・体育会系の価値観が美徳とされたのだ。ここに科学的な合理性はなく、いわゆる根性論が優先されるのがレッドの価値観である。これらの集大成が『北斗の拳』という作品である。

 インテグラル理論の中で繰り返し説かれているのは、各段階とも良し悪しがあり、いずれかの段階が特別に優れているわけではない、ということだ。

 つまり、絶対的に正しい価値観は存在せず、「状況によって変わる」。実際に『北斗の拳』で見て取れるように、世紀末の荒野では、レッド的なアプローチでないと悪役に対抗できないのだ。

 ブルー段階が得意とする、ルールや話し合い、オレンジ段階が重視する、個人の権利や自由を主張しても、役には立たないのがこうした時代である。現代においても、レッド段階に重心を置く国家は多々存在しており、アジア諸国を見ると、麻薬組織を力で撲滅した大統領が歓迎されている国もある。

 ビジネスや企業活動においても同様のことがいえる。「相手の都合を考えずひたすら商品を売り付ける」ことで成長する事業領域というのもあるのだ。こうした分野においては、営業マンを無理矢理に走らせる、レッド型の組織というのが一番強い。

 日本の戦国時代然り、リソースに限りがあり「奪い合い」にならざるを得ない時代であれば、このような統制を行えるレッド型のリーダーが望まれる。逆に、シェアリングエコノミーのような「共創する時代」においては不利といえるだろう。

 レッド段階は非常に「マフィア的」であり、排他的である分、上下関係を重んじ、ファミリー・身内を大事にするという特性がある。日本の任侠世界が分かりやすく、外には暴力が蔓延っているため、血の盃を交わした身内だけは絶対的に信頼し合う、というのがまさにそれだ。

 現代の若者には毛嫌いされやすい、「目上の言うことは絶対!」「年上の言うことには盲目的に従うべき」というのはこの段階の価値観の表れである。


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