2024年12月23日(月)

MANGAの道は世界に通ず

2022年9月24日

 「戦略とは何か?」

 日本では、進むべき方向性やシナリオなどと訳されることが多く、特に企業活動において、自社の経営資源をどのように分配するかを指すとよく言われている。ところが戦略論の原点たる、中国春秋時代における武経七書の一つ「孫子」に目を通してみると、意外や意外、そのようなことは一切書かれていないことが分かる。

 簡単にいうと、冒頭の説明だけでは「生ぬるい」のだ。古今東西で最も著名である、この軍事理論書が成立したのは紀元前500年頃といわれているが、この原本を見返してみると、現代の企業戦略論との大きな差は「前提の違い」。

一発勝負の厳しさ

 つまりは「やり直しの効かない一発勝負であったかどうか」ということが分かる。当時はまさに、国同士が熾烈な領土の奪い合いの真っ最中で、兵士たちによる殺し合いが日々繰り広げられていた。自国が負ければ占領され、国民の多くが犠牲となる憂き目に合う。

 それ以上の結果はなく「取り返しがつかない」のだ。このような一発勝負において、「負けない(=不敗)」「確実に勝つ」をいかに実現するかを説いたのが、原点にして頂点たる「孫子」そのものだったのだ。

 それと比べると、負けたところで死ぬわけではない前提の、リソース分配の最適化程度に留まっている企業経営戦略論は、かなり生ぬるく見えてしまう。

 これらの点については、『最高の戦略教科書 孫子』(守屋淳、日本経済新聞出版)に詳しいため、興味ある方はぜひ目を通してみて欲しい。筆者が見る限り、孫子について唯一絶対の、深い本質論まで紐解いてくれている書籍だ。

 さてでは、「不敗を貫き、確実に勝つ」ということを必須要件としたこの戦略論においては、一体何が描かれているのか。その要諦は多岐に渡るが、特に重要な部分を筆者なりに言い換えると、「状況を高度に俯瞰して見て、常識に囚われた余計な前提を排除し、使えるものは何でも使って、何が何でも勝つための方策を編み出す」ということである。

 後ほど詳述するが、つまりは「メタ認知」をいかにできるかにかかっている、ともいえるのだ。メタ認知そのもの自体は、アメリカの心理学者ジョン・H・フラベル氏が定義した心理学用語であり、元々は教育学や脳科学の分野で使われていた。そして近年では、ビジネス分野でも注目されている概念である。

「メタ」とは何か?

 最近バズワードとなった「メタバース」にも見受けられる「メタ」とは、「高次の」「超越した」「後ろの」といった意味合いであり、メタ認知とは、自分の認知状態を認知すること。ここでは、「自分の置かれている状況をより高次の視点で捉えること」と理解していただきたい。

 例えば、自分が東京大学に合格したいという想いを秘めている際に、「自分は東京大学に合格したいようだ。それはどのような背景から来ている気持ちなのか? どれだけ本気なのか? 周囲がそうしているから合わせているだけではないのか? 他にもっと良質な選択肢がないのだろうか」などと、「一歩引いて」俯瞰して冷静に状況を見つめることだといえる。

 就活に置き換えると、「自分はこのような企業に就活して入りたいと認知しているようだ。この心理状況はこのような背景から来ている。しかしその本来の目的を考えると、『起業』といった選択肢も考え得るのではないだろうか?」といった認知の仕方である。

 このようにして、高度なメタ認知から方策を考えていくと、結果「身も蓋もない」、常識外れのあっけに取られるような選択肢がしばしば出てくる。

 まさに前回記事で取り上げた、『カイジ』(福本伸行、講談社)における「開き直って視点を変える」というのは、絶望に追い込まれたからこそ強制的に状況をメタ認知させられ、新たな方策が浮かんでくる姿を描いたものなのだ。


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