2024年12月23日(月)

MANGAの道は世界に通ず

2023年2月11日

 前々回では「異世界転生」というジャンルに触れ、現代社会における変身願望を説いた。このジャンルから学べることはさらにあり、それが「型を学んで、打ち破る」という守破離(しゅはり)の概念だ。

 前にも述べた通り、「小説家になろう」という投稿サイトが成長し多くの自作小説が発表されたことで、異世界転生という分野は成り立っていった。ただし転生といってもその多くが、「中世ヨーロッパ風の、剣と魔法で活躍できる世界」を舞台としている。

 これにもさまざまな背景があるが、「ファンタジー世界であれば専門知識が問われない」というのが大きな理由である。創作における鉄則なのだが、現実的な舞台設定をするとボロが出やすいのだ。

 その分野に詳しい読者に、おかしな部分をツッコまれたりと、どうしても違和感が発生しやすくなる。しかし「魔法」などの現実に存在しない舞台装置を活用すれば、比較対象がない分「そういうものか」と受け取ってもらいやすくなるのだ。

 まさにビジネスの鉄則である、「顧客はできる限り素人を相手にしろ」(そういう選択ができる分野を選べ)という法則の通りでもある。法律の素人を顧客にする弁護士のほうが、企業内の財務部門を相手にする公認会計士よりも、稼ぎやすいという事実と重なっているわけだ。

 つまり剣と魔法を主とした舞台設定であれば、創作の素人である投稿者が、大した経験蓄積やリサーチも行わず制作が可能なため人気となっていったのだ。「自分の想像」のみで描けるため楽に成功できそうという、異世界転生の変身願望と近しい部分があるのは皮肉といえるだろう。

 さて、このような背景の中で、生まれる作品群はどのようになるのか? 実は「非常に似通ったものばかり」へと収斂していくのだ。『無職転生』(フジカワユカ、理不尽な孫の手、シロタカ、KADOKAWA)に始まり、『盾の勇者の成り上がり』(アネコ ユサギ、弥南 せいら、KADOKAWA)、『ありふれた職業で異世界最強』(RoGa 、白米良、たかや、オーバーラップ)、『異世界チート魔術師』(鈴羅木 かりん、内田健、Nardack、KADOKAWA)等々、ヒットした異世界転生ものはほぼ全て「中世ヨーロッパをイメージした、剣と魔法で成り上がる世界」ばかりなのだ。

 実はこうした、ユーザーがコンテンツを自由に投稿できる「CGM(コンシューマー ジェネレイテッド メディア)」といわれるネットサービスでは、このような構造に「非常に陥りやすい」という現実がある。「こういう作品なら自分も作れそう」「こういう作品が受けているから真似よう」という、ある種安直な考えから、素人による模倣的な作品が量産されていくのだ。

 これはドワンゴの創業者である川上量生氏が、著書『コンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたこと 』(NHK出版新書)で非常に鋭く指摘している。プロの編集者が不在で、ユーザーの勝手に任せると、似たような作品ばかりに収斂していき、多様性の失われたつまらないメディアへと陳腐化していくのだと。

 インターネット黎明期には、制作の民主化によって多様なコンテンツが生まれ、多種のニーズへとロングテールに届けられていくというのがWeb2.0的な神話であった。これらは実は大間違いの幻想であり、むしろ真逆な方向に進んでいくのが現実だということが、切り口鋭く同書内で述べられている。

 しかし、ここには別の妙味がある。似通ったものばかりが増えていくと、今度は「守破離(しゅはり)」の観点で新たな価値創造が行われていくのだ。

 現在のヒットしている異世界転生ものに、新たなジャンルを作るような革新性は正直乏しいといえるだろう。しかし同時に、安定して面白いともいえるのだ。これはシェイクスピアを筆頭とした昔の戯曲や、現代の能や歌舞伎、落語などでも同じことがいえるが、

 「型が決まっているからこそ、安心して見られる」
 「その上で、誰がどのように役を演じるのかという『表現の仕方』が面白くなってくる」

 という構造に成熟していくのだ。伝統を守った上、「その上で」独自性を出すというところが付加価値になっていく、ということである。


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