2024年11月7日(木)

スポーツ名著から読む現代史

2023年3月29日

 日本中を歓喜と感動に包んだ野球の第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。栗山英樹監督率いる侍ジャパンが決勝で米国を破って3大会ぶり3度目の優勝を飾った。東京での1次ラウンドから7戦全勝。しかも米マイアミでの決勝戦は、全員メジャーリーガーをそろえた米国代表の「ドリームチーム」をねじ伏せての勝利だった。

「史上最強布陣」を率いて3大会ぶりのWBC優勝を果たし、名実ともに世界一の監督となった栗山英樹監督(UPI/アフロ)

 今回の日本代表は、大谷翔平やダルビッシュ有ら大リーガー4人に、昨年最年少三冠王となった村上宗隆、完全男・佐々木朗希ら国内組を融合させた史上最強の布陣といわれた。その黄金集団を一つにまとめあげた栗山監督の采配がひときわ目を引いた。

 2006年の第1回大会の王貞治監督から17年の第4回大会の小久保裕紀監督まで、過去5回のWBCで侍ジャパンを率いたのは、現役時代に日本を代表する名選手だった。その点、栗山監督の現役生活はわずか7年間。実績の面で過去の4人とは大きく見劣りする。それでいながら過去の4監督以上の存在感で日本を「世界一」に導いた。

 野球エリートとは全く異なる道のりを歩んできた栗山監督。苦しみ、努力を重ねてきたからこそ、指導者として必要な忍耐力や包容力を高めてきたように思える。栗山監督の足取りをたどり、「世界一」に上り詰めた背景を多くの著書から読み解いてみたい。

国立大卒初のプロ野球監督

 栗山監督がプロ野球の世界に飛び込んだのは1984年のことだ。教員養成を主目的とした国立大学である東京学芸大学で野球に打ち込む一方、教員資格も獲得し、文武両道に励んだ大学時代。卒業を前に、同級生が教員採用試験に臨む中、栗山はプロ野球選手を目指して西武、ヤクルトの入団テストに挑んでいた。

『スカウト物語』(片岡宏雄著、健康ジャーナル社)

 進路をプロ野球へとかじを切ったきっかけは、元プロ野球選手で、フジテレビの「プロ野球ニュース」のキャスターをしていた佐々木信也さんの一言だった。大学4年の春、佐々木さんの息子が在籍する玉川大学との練習試合に出場した栗山のプレーを佐々木さんが見ていた。試合後、佐々木さんに感想を聞いた時だった。

 <佐々木さんが僕に視線を向けました。「キミなら、プロ野球でやっても面白いかもしれないね」。この瞬間に湧きあがった気持ちにふさわしい言葉は、30年以上経ったいまでも見つけられません。嬉しかったのは間違いないし、興奮したのも確かです。何よりも、それまで真っ暗闇だったプロ野球選手への道のりに、パパパパパッと灯りが点ったようでした>(『栗山魂』栗山英樹著、2017年河出書房新社、75頁)

 ヤクルトのスカウト、片岡宏雄(2021年死去)は著書『スカウト物語』(2002年、健康ジャーナル社)で栗山獲得のいきさつをこう振り返っている。<栗山は、ドラフト外で入団テストを受けて合格し、昭和59年に東京学芸大学から入団した。私としては、国立大学を卒業しているのだから、何も無理してプロに入る必要はないと考えていた。私が栗山に「無理するな。就職したらええやないか」と言うと、「どうしても野球がやりたいんです」と一歩も引かなかった。頑固な栗山を見て、まじめで一本気な男だと感じた。>(『スカウト物語』145頁)


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