近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載「近現代史ブックレビュー」はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。
奈良と近世・近代の文化との関連について考察した論集であり、興味深いものが多いが、中でも注目されるのは福家崇洋の「樽井藤吉の軌跡と思想」である。
樽井藤吉は、『大東合邦論』という日本、朝鮮、中国の3つの国が合邦・連合することを説いた近代日本アジア主義の最初の思想家である。一方、東洋社会党という日本最初の社会主義政党を作った人物でもある。右翼と見られがちなアジア主義と左翼の社会主義、2つの先駆者なのだが、これまで詳しい経歴などは分からなかった。それを初めて明らかにしたのが本稿である。
樽井は1850年、奈良県五條市に生まれた。兄が大和五條出身の尊王攘夷論者・森田節斎の教えを受けており、また13歳の時に天誅組の変に遭遇している。
東京で平田派の国学者・井上頼圀に師事、その後、政府要人に建言書を提出したりしていたが、77年に西南戦争が起こると西郷隆盛らに共鳴し東北地方へ募兵旅行に出かけて失敗している。また、西郷らへの共鳴から、無人島(済州島)探索に向かい拿捕されたという。
その後、九州北部を中心に活動し、勤務した中学の同僚教員の武富時敏から社会主義の知識を得た。こうして82年に東洋社会党党則草案などを発表する。「社会公衆の最大福利」を目的とし、平等・自由を主義とすることなどが打ち出されたのである。党員数は多くはなかったが、神社に扁額献上を行い物議をかもした。鍋島直正公が実施した農民の負担を軽減する租税猶予令を讃えたものである。ネイティブなものから社会主義を模索するものであったことが分かる。