2024年5月4日(土)

デジタル時代の経営・安全保障学

2023年5月12日

 APNICは7人の理事と事務局長からなる意思決定機関を持つ。7人の理事は、APNIC会員の選挙によって選ばれる。APNIC会員はその多くが、アジア太平洋地域のインターネットサービスプロバイダーや関連の組織である。

 今回、4人の理事が任期を終え、その4つの枠を巡って選挙が行われた。しかし、立候補者13人の中に、特定の団体が推薦した4人の候補者がいたのである。

 これらの候補者はインターネット実業家であり、刺激的な公約を掲げた。例えば、年会費の減額、本部をシンガポールに移転すること、より途上国を優遇した組織運営をすること、などである。

 4人の候補者の中には、ルールに違反する選挙運動をした者もいた。選挙期間終了後に、日本の関連組織がAPNICへ提出した選挙制度改善を促す公開書簡では「選挙期間中に、APNIC事務局を騙って特定候補への投票を促す電話、 匿名の脅迫や選挙関連に関する沈黙の要求などの事案が発生し、 法執行機関への通報もなされた」と指摘している。このような事態は前代未聞である。

 APNICの理事選挙がここまで加熱するのはなぜだろうか。

加熱するIPv4アドレスの争奪戦

 大きな理由の一つは、IPアドレスという資源の希少性が高まり、これを巡る争奪戦が加熱しているからである。

 インターネットに接続される機器には、ネットワーク上の住所を示す番号が必要となる。それがIPアドレスである。

 インターネット黎明期からIPv4アドレスという規格が用いられてきた。読者のスマートフォンにも、ご家庭のルーターにも、学校や職場のパソコンにも、それぞれIPアドレスが割り振られている。

 IPアドレスがあるから地球の裏側にあるコンピューターと通信できるのである。そして、このIPv4アドレスは技術的に最大で42億9496万7296(2の32乗)個しか存在しない。これは論理的な最大値であり、特殊な用途のために予約されている部分もあり、実際に使える部分はずっと少ない。

 インターネットの黎明期には、世界中のコンピューターを接続するのに十分余裕があるとされていたIPv4アドレスの数が、急速なインターネットの普及により枯渇してきている。アジア太平洋地域を含めた一部では10年以上前から、新規にIPアドレスを割り当てることを原則として止めている。

 もし、IPv4アドレスをまとめて手に入れたい場合、方法は2つある。1つは既にIPアドレスを割り当てられている人と直接交渉し、譲ってもらうあるいはリースしてもらう方法である。

 実態を把握するのが難しいが、実際にIPアドレスの取引は行われている。売り手と買い手を繋ぐオークションサイトもあり、23年現在1アドレスあたり30ドルくらいの値段がついている。

 2つ目の方法は、まだ割り当てていないIPアドレスを持っているアフリカの管理団体に申請し、正規に割り当てを受ける方法である。前述のとおり、アジア太平洋地域ではIPアドレスは枯渇しているが、アフリカなどではまだ使われていないIPアドレスが残っている。

 つまり、世界全体でIPアドレスの希少性が高まっているものの、一部の地域ではまだ在庫が残っている状況が生まれている。この不均衡に着目し、アフリカからIPアドレスを借り出し、それ以外の地域の顧客に対して高額で貸し出すサヤ取りビジネスが生まれ、定着しつつある。

 サヤ取り事業者から見た場合、このビジネスの成功は、管理団体から如何にして大量のIPアドレスを割り当ててもらうかに左右される。APNIC、あるいは各地域の管理団体の理事になるということは、直接的あるいは間接的にそのIPアドレスの管理について影響力を行使できる地位を得ることと同義である。そして、これがAPNICの理事選挙が加熱した背景である。

 一部のサヤ取り事業者はアフリカの管理団体との間で、深刻な対立を抱え、現在も複数の裁判が進行中である。そしてAPNICの選挙に立候補したのは、アフリカの管理団体と係争中のサヤ取り事業者の関係者でもあった。


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