2024年11月22日(金)

勝負の分かれ目

2023年7月18日

チームスローガンは「アレ」

 2005年秋~07年、筆者は産経新聞大阪運動部の記者として「虎番」(阪神担当)の末席を汚した。岡田監督は04年に闘将と呼ばれた星野仙一氏の後を受けて監督に就任。05年にリーグ優勝を果たした当時440代だった指揮官は、5大スポーツ紙(日刊スポーツ、スポニチ、サンスポ、報知、デイリー)のキャップを中心とした記者たちに常に囲まれ、貫禄十分だった。

 地元の大阪出身で早大から相思相愛で阪神に入団。チームが唯一、日本一に輝いた1985年も5番・二塁で大活躍した。現役の晩年はオリックスに移籍したものの、将来の監督候補として阪神に戻り、2軍監督や1軍コーチを歴任し、監督就任2年目の2005年に早くもリーグ優勝に導いた。暗黒時代もチームが再建していくプロセスも肌身で知るチームの生え抜きである。

 記者を大事にする指揮官で、遠征時の新大阪駅や伊丹空港では、出発の前後に記者の囲みに本音で応じる姿が印象的だった。

 主語が省略され、「あれ」「それ」など指示語が多用し、質疑応答を文字に起こしても、一見すると文脈がつながらない「岡田語録」は、第2次政権では、優勝も「アレ」でメディアにもファンにも伝わるほどになった。チームスローガンまで「A.R.E.」(エー・アール・イー)。目標(Aim!)、敬いの気持ち(Respect)、パワーアップ(Empower!)だが、指揮官が発した「アレ」のゴロが前提なのは間違いない。

 取材で接した立場から、指揮官がなぜ、ああいう言葉になるのかを考えると、とにかく頭の回転が早かったことに起因すると考える。

 記者は順を追って質問をしていくのだが、一つの質問に答えているとき、次に来る質問が頭でわかってしまう岡田監督は「そら、もうなあ、あれやけど……」などと、「あれやけど」に次の質問に対する答えが含まれているのである。言葉を略さないと、頭に浮かぶ答えや考えが発する言葉に追いつかないのだと思った。結果、色々なことが頭の中を巡って、言葉になったときには「岡田語録」のできあがりという構図に思える。

「守りの野球」を徹底する考え

 それでも、的を射た印象的な言葉もたくさんある。2006年オフ、当時のエースだった井川慶投手が米大リーグ挑戦を表明し、ヤンキースへ移籍した。

 翌シーズンに向けて「井川の勝ち星(06年は14勝9敗)を誰が埋めるか」という質問が出たとき、岡田監督は「勝ち星やないよ。大事なのはイニングよ」と強調した。当時のシーズンは144試合で、仮に1試合9イニングで計算すると、144×9=1296イニングになる。

 岡田監督は年間のイニングを1400とやや多めに見積もって、このイニング数を現有の投手陣でどう埋めるかが監督としては一番の悩みの種だとして、こう続けた。「井川はなあ、毎年200イニング近く放って(投げて)くれ200やから、7分の1を一人で投げてくれるわけやからなあ。勝ち星はどこかについてくるやろうけど、井川が投げたイニングは簡単には埋まらんよ」。


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