残りの投手陣は1200弱のイニングを投げればよくなる。井川投手が抜けたことで、分子が1200から一気に1400に増える。分母となる投手陣は新戦力を加えたとしても、一人ずつの比重が大きくなるだけでなく、井川投手なら防御率3点(06年は2.97)で済むところが、他の投手で同じ200イニングを埋めれば失点の機会が増える可能性も高くなる。
メディアは「誰が何勝するか」などと勝ち星を予想して、優勝ラインに届くかを計算するが、勝ち星は、消化すべきイニング数を現実の問題としてとらえていた。「守りの野球」を信条とする岡田監督の考えが凝縮されていた。
第1次政権の岡田監督は、2軍監督時代から見てきた選手の適正を見抜き、自分が1軍監督ならと常に想定しながら、選手を育て、イメージを膨らませていた。今岡誠(現在は登録名・真訪)選手の勝負強さを勝って5番起用で打点王に導いた手腕や、藤川球児投手を中継ぎ転向させた起用法は有名だが、筆者にとって印象的だったのは05年秋のキャンプだ。関本賢太郎選手を高知・安芸で自ら身振り手振りを交えて熱血指導した。
直後の囲み取材では、「2軍時代に鳴尾浜(2軍の本拠地の鳴尾浜球場)のバックスクリーンまで飛ばしてるんやから。自分の持ち味を発揮せな」と小さくまとまらず、大型内野手として開花させようとしていた。2軍時代の関本の良さを熟知していたからこその指導だった。また、前年までけがで代打中心だった濱中治外野手を「06年の最大の新戦力」と期待して3割・20本をマークさせたりもした。
2軍監督やコーチ時代の「眼」を生かしたのが第1次政権なら、中野のコンバートに代表されるように、チームの外から見た「眼」が光るのが「第2次政権」だ。
想定外の事態でも、後半戦も走り続けられるか
岡田監督のこだわりはもう一つ。レギュラーの固定である。第1次政権は、鉄人と呼ばれた連続フルイニング出場で米大リーグ記録をも上回った金本知憲選手がいた。欠場することがない金本選手を「4番・左翼」で常に記入できることが、どれだけありがたいかを語っていたことがある。
1番・中堅の赤星憲広選手、捕手は矢野輝弘(現在は燿大)選手、遊撃手は鳥谷敬選手、一塁はアンディ・シーツ選手、三塁は今岡選手、投手も先発に井川や下柳剛投手らがいて、救援陣は藤川、ジェフ・ウィリアムス、久保田智之の3投手による強固な「JFK」が全盛だった。
試合中の岡田監督は勝負どころ以外では、采配で派手に動くことはない。レギュラーの固定を理想とし、好不調の多少の波はあってもシーズンを通して活躍できる選手をオーダーに並べる。
ただ、今季は「固定」がうまくはまらないところもある。5番で我慢の起用を続けた佐藤輝明選手が打撃に苦しみ、湯浅京己投手の抑えプランも故障により狂った。前半戦終了間際の近本光司選手の負傷も後半戦に向けた不安材料だ。
それでも、交流戦前の貯金が大きく、久々の首位ターンに関西は沸いている。ペナントレースは2位の広島東洋カープが追い上げてきて、3位横浜DeNAベイスターズまでは首位から3ゲーム差以内。阪神は本拠地を高校野球に明け渡す「夏のロード」も待つ。
前出のスポーツ紙記者は「優勝の鍵は青柳投手。他球団から嫌がられる昨季までのエースがシーズン後半に戻ってくれば、戦力しては大きい」とみる。65歳になった生え抜き指揮官の2度目の胴上げなるか。