琉球新報は「中国は「核汚染水の海洋放出」として反発を強めている」などと中国の立場ばかりを代弁する一方で、日本政府や国際機関が示す科学的安全性を周知しようとしない。何が目的か。
信濃毎日新聞は不十分な当事者合意と風評被害の深刻化を訴えながら「放出の完了まで30年もの期間を要する見通しだ。漁業者が受ける被害は世代を超えることになるだろう。責任を持つ、と強調する政府の覚悟はいかほどか」と迫る一方で、やはり処理水の科学的安全性には全く触れていない。
「合意形成できないのに進めようとするのは欺瞞」「風評が問題」という論理を使う一方で、それらの解決に繋がる事実を報じないのは利益相反、「マッチポンプ」の構図ではないのか。
元来、災害などの非常時に広まる流言に関する先行研究において、マスメディアは流言を止める役割を果たす存在として規定されてきた。(タモツ・シブタニ著『流言と社会』(東京創元社)、清水幾太郎著『流言蜚語』(ちくま学芸文庫))
ところが、今やマスメディアは少なからぬ世論から逆に「流言を広める存在」と見做されている。東京大学などが1500人(福島県内300人、県外1200人)を対象に行った調査(2021年9月)によれば、(※開沼博東京大学大学院准教授による発表より。当該箇所は動画の20分~21分30秒部分)東電原発事故に伴う偏見・差別の原因を“マスメディア”と考えている割合が63.3%にのぼり、“SNS”53.5%、“政府・行政、東電”約35%と比べて際立っている。
これまで述べてきたように、もはや処理水問題について被災地復興、世論、科学、外交、全ての論点で「反対」の正当性を客観的に担保できる材料は乏しい。懸念される「風評」も、それを本来払拭すべき役割は前述したように報道にこそある。
そうした状況でなお、少なくない新聞社が科学や事実、当事者の利益ばかりか多くの民意にさえ背を向けてまで処理水海洋放出に反対するのは「何のため、誰のため」か。このような独善こそが当事者報道を歪め、問題を拗らせ、解決を遠ざけてきたのではないか。
人々に信頼される報道を
「ここには下を向いている漁師なんか一人もいない。船に乗りたいという若者たちがいる限り、私たちは今まで通り頑張るしかない」「私たちにできることはこれまで通り魚を取り、検査で安全性を確認して出していくことだけだ」──。
福島県の地元紙である福島民友(2023年8月25日付)が報じた地元の漁師の言葉は、漁業のプロとして長年生きてきた矜持に満ちている。それは、冒頭に紹介した老舗魚店それぞれの言葉にも共通する。
これが、苛烈な災害からの復興を経験した人達の強さであり美しさだ。それに比べて、これまでのマスメディア報道はどうか。
処理水は放出され始めた。繰り返すが、これによって海洋汚染が起こることは無い。今後の風評をいかに抑えるか、被災地に生きる人々を助けるも貶めるも、報道各社の仕事にかかっている。
人々を助け社会から信頼される、プロとして胸を張れる報道を、どうか取り戻して頂きたい。