『精選 生活保護運用実例集』の狙い
こうした問題を解決するために刊行したのが、『精選 生活保護運用実例集』である。
筆者はまず、公文書情報公開請求(情報公開)という手続きによって、都道府県、政令指定都市からマニュアルをすべて集めた。情報公開は、正当な理由がなければ行政側は文書の提供を拒否できない。結果として、暴力団対策など一部の例外を除いて、ほとんどすべてのマニュアルを入手できた。その総数は2万2000頁を超えた。
次に、「利用者の権利を守る」という視点から6つの自治体のマニュアルを選定した。選定したのは東京都、兵庫県、埼玉県、沖縄県、横浜市、熊本市である。これらの自治体では、それぞれ国に引けを取らないレベルのマニュアルをつくっている。その上で、それぞれのマニュアルに掲載された問答を分析し、重複を除いたうえで、適切なものを選び抜いた。
この結果、問答789、総頁数950の新たなマニュアルが完成した。筆者は、国が監修している『生活保護手帳』『生活保護別冊問答集』に次ぐ、第3のマニュアルと位置づけている。
『精選 生活保護運用実例集』は、実際に自治体で運用されている他実例を参考にできる唯一の書である。各問答には、典拠とした自治体名と、類似の問答を持つ自治体名を明記している。このことによって、「東京都と埼玉県では出している」といった根拠が明確になる。公務員には、「出せる」と明記されている項目を出さないで済ませる勇気ある者は少ない。
なにしろ、不服申立や裁判を起こされた場合に、みずからの判断を高確率で覆されるのだから。
「困っている人のために」と考える公務員は意外に多い
『精選 生活保護運用実例集』はその性質上、辞書のような分厚さになってしまった。生活保護というニッチな分野で、3740円という高額な実用書である。出版社には「必ず売れる」と提案したものの、見向きもされないという不安も感じていた。
不安は杞憂に終わった。
売れ行きは好調で、初版はほぼ売り切り、増刷がかかるという。関係者から「こうした本が出るのを待っていた」との声を聞くと、素直に嬉しい。
実際、生活保護の現場で働く公務員の多くは、善良な人たちである。多くの職員は、「困っている人のために、どうにか力になれないか」と考えている。
国のマニュアルでは、抽象的な表現で「出せるとも、出せないとも、どちらとも取れる」問答が少なくない。これに対して、自治体のマニュアルは、具体的な場面を想定したうえで、「なぜこの金銭を出す必要があるのか」まで解説をしている。国が明確に基準を示していないからこそ、根拠を憲法や法律までさかのぼって検討し、批判に耐えうる論理を構築している。そして、長い歴史のなかで叩きあげられた問答は、強い説得力をもつ。
「他の自治体では、このケースでは保護費を出している」「うちのルールブックではこう書いてあるけれど、こちらのルールブックでは違う表現になっている。どちらがいいのだろう」とつぶやくケースワーカーが現れ、上司や同僚を巻き込んだ議論が生まれる。ルールを絶対視するのではなく、自ら考え「最低生活保障とは何か」という視点から仕事をするようになる。
そうした現場が一つ、二つと増え、市民の生活を守る仕事に誇りをもつプロフェッショナルの育成につながっていく。
こうした動きを温かく見守り、応援する社会であってほしい。