しかしアングルトンの懸念はある程度当たっており、その意思を継ぐ形で調査を進めたのが、先述したバグレーで、どうやらCIAの中枢にはKGBのモグラが潜んでいたようである。特にCIAのソ連担当首席分析官であったジョン・ペイズリーには疑惑が付きまとったが、彼は78年に謎の海難事故で死亡している。
見つかった死体はペイズリーではなかったとバグレーは考えていたようだが、CIAが早々に火葬したため、真相は今でも闇の中である。
英国の二重スパイ
フィルビーの暗躍
「007」のモデルで有名な、英国秘密情報部(MI6)もソ連の浸透を受けている。英国では「ケンブリッジ・ファイブ」と呼ばれる、ケンブリッジ大学出身の5人のエリートが、学生時代に共産主義に共感し、そのままMI6などの政府機関に採用された事例が有名だ。5人の中で最初にスパイに転向したのがキム・フィルビーで、あとの4人はフィルビーが引き込んだとされる。
フィルビーが学生時代を過ごした30年代は、世界大恐慌による資本主義への幻滅、ファシズムの脅威から、共産主義が魅力的に映った時代である。フィルビーら英国のエリートが共産主義に傾倒していったのはそれほど不思議なことではなかった。
第二次世界大戦が始まると、フィルビーはMI6に採用され、その能力の高さから部内での信頼は高かった。フィルビーはMI6の活動をしつつ、裏ではソ連のスパイとして活動する二重スパイであったが、戦争中は全く疑われることがなかった。むしろ彼がソ連に送っていた「完璧すぎる」リポートが、むしろ英国の欺瞞作戦ではないかとソ連側の疑念を増幅させたほどである。
48年にフィルビーはMI6の米国支局長にまで昇進し、将来の長官候補とまで見なされるようになる。
しかし米国は冒頭の「ヴェノナ」計画によって、英国政府機関内にモグラがいることを掴んだ。これはケンブリッジ・ファイブの一人、ドナルド・マクリーンのことであり、まず米国のCIAからフィルビーに情報が伝えられた。フィルビーは動揺したものの、密かにKGBに連絡し、同じケンブリッジ・ファイブのガイ・バージェスと、マクリーンの2人をソ連に亡命させることになる。
だが、この亡命劇によって、フィルビーにも疑いの目が向けられることになった。CIAのアングルトンはフィルビーを擁護したものの、決定的だったのは54年にソ連から亡命してきたKGBのアナトリー・ゴリツィンの情報であった。ゴリツィンはCIAにケンブリッジ・ファイブの存在を明かし、それによってフィルビーへの疑惑が決定的となった。翌年3月、追い込まれたフィルビー自身もソ連に亡命することになる。
その後、英国王室美術顧問のアンソニー・ブラントと第二次世界大戦中に英国の暗号解読に携わっていたジョン・ケアンクロスの名前が発覚することで、ケンブリッジ・ファイブの5人の名前が確定し、MI6に衝撃を与えた。ただし英国でもフィルビーへの評価は複雑だ。小説家のジョン・ル・カレはフィルビーを裏切り者と断罪しているが、かつてフィルビーの部下であった小説家のグレアム・グリーンは、同情的な意見を表明している。