経済参画のGGIの背景にある
伝統と近代の間の〝矛盾〟
「家父長制」や「男尊女卑」といったレッテルも、悪い意味でのカセットになってはいないか、再検討することが重要です。今日と比べて、かつての日本で女性の地位が低かったことは間違いありませんが、しかしそれが「日本の伝統」に起因するかは自明ではありません。
歴史的に見ると、中国では宋から清にかけて「纏足」の慣行があり、多くの女性が人為的に足を小さく変形させられ、家庭の外に出るのが困難になりました。イスラム圏では今日も、外出時は女性にスカーフで顔を覆わせる風習が残ります。これらは明確に、男女を厳格に「別の存在」として把握し、女性の側に不自由を科す伝統思想から来るものです。
日本にそうした発想はあったのでしょうか。実は前近代の間は微妙です。
江戸時代には社会の末端まで「イエ」が普及し、かつ多くは農民(百姓)でしたが、田畑を耕す家業を営む「共同経営者」として、お互いを捉える夫婦観が普通でした。男女問わず一家で耕作しないと人手が足りないので、現代のような専業主婦も存在しません。
相続を見ても、男系の血縁を重視する中国・朝鮮では、女子しかいない夫婦は「夫の兄弟が生んだ男子(甥)」などを養子にもらって家産を継がせます。しかし日本の場合は、「娘とその夫(婿)」が継承して構わない。「男から男へ」でしか財産は相続させない、という発想は、日本ではむしろ弱いのです。
明治維新が起きると教育勅語などを通じて、儒教思想の影響が日本にも広まり、かつ工業化も進展します。しかし19世紀末までは繊維産業がメインだったため、人数としては「女工」のほうが「男工」よりも多くいました。問題は女性の「社会進出(外で働く)」それ自体ではなく、給与の分配法にあったのです。
工場で働く女性の賃金は、実家に送金して「家計の足しにする」補助的なものと見なされ、女性一人でも自立できるようにという発想では支給されませんでした。そこに男性を労働力とする重化学工業化や、「腰弁(腰に弁当。妻に作ってもらって出勤するという趣旨)」と呼ばれたホワイトカラーの増加が重なり、大正時代の後半になると「男が仕事で稼ぎ、女は家庭を守る」モデルが、都市部で定着しました。
今日でも、多くの妻が単に炊事・洗濯を担うのみでなく、家族の通帳を管理して子どもの塾や習い事を差配するように、日本の女性は江戸時代と同様、夫と並ぶ「イエの共同経営者」であり続けています。しかし戦後の高度成長を通じて、夫婦がともに家内労働に従事する農業・自営業が減少し、イエに「お金を入れるのはサラリーマンの夫だけ」とする考え方が、あたかも自明な性別分業であったかのように錯覚されてしまいました。
夫婦で「共同生産」する農業に最適化して生まれた男女観と、正規雇用の夫にのみ「妻子を食べさせられる」給与を払い、非正規雇用(パート主婦や未婚者)は薄給で済ませる雇用慣行とは、ともに日本産であっても相性が悪いのです。いわば伝統と近代の間の「矛盾」こそが、経済参画の面でのジェンダーギャップの根幹にあると見るべきでしょう。
過去最低のGGI順位という「カセット」だけを見てしまうと、日本には世界ワーストレベルの男尊女卑の伝統があると思い込み、女性の地位は「改善し得ない」といった悲観論に陥りがちですが、そのイメージは虚像でした。政治参画の面では選挙制度の改定、経済参画については給与体系の見直しによって、私たちの社会にはいくらでもジェンダーギャップを埋めてゆく余地があります。
むしろこれからの時代、本当の多様性の困難は男女差よりも「民族や文化」の違いから生じることが懸念されます。すでに令和の日本社会が、外国人の労働力抜きに回らないことは、小売り・飲食・運送・介護など暮らしに直結する諸分野で明らかです。