日本を住みよい社会へ
私たちに何ができるか
拙著『荒れ野の六十年』(勉誠出版)で論じましたが、植民地をもち帝国となった戦前という時代は、日本が「多民族国家・多文化社会たり得るか」を試す最大の実験でもありました。遺憾なことに、その答えは悲観的です。
日本の植民地統治には一貫した方針がなく、もっぱらセクショナリズムによって揺れ動きました。政党内閣を望む勢力は植民地も「内地と同一の制度」で支配する方向性を望み、逆に軍や官僚の既得権に依拠するグループは「現地ごとに事情があり特別だ」と主張しました。
注目すべきは、台湾・朝鮮でも「教育勅語をそのまま拝め」と要求するのは無理があるので、勅語の文言を改定するか、新たな勅語を求める構想が提言されたにもかかわらず、実らなかったことです。「天皇は徳のある統治者だから、従うべし」と明記することによって、儒教文化になじんだ台湾・朝鮮の人々にも理解されるように帝国の正統性を説きなおす発想は、「それでは徳のない統治なら、反逆してよいことになってしまう」とする反対論によって潰れてゆきました。
文化的な背景が異なる人々と社会を営むには、互いに合意できるビジョンを定めることが必要で、もし掲げたビジョンを自ら裏切る事態が生じたら、その時は責任を取らなければなりません。しかしそうしたモラルは、当時も今も日本に乏しいと言わざるを得ないでしょう。
むしろ日本で強いのは、均質性の高い集団が同じ場所で暮らすことから生じる「一蓮托生」の感覚だけを重んじ、ビジョンはせいぜいスローガン程度に考えて、都合よく使い捨てる発想です。
哲学者の鶴見俊輔は敗戦後、そうした日本人の欠陥を「言葉のお守り的使用法」と呼んで批判しました。「八紘一宇」「大東亜共栄圏」とビジョンめいた用語を叫んでも、厳密には何を指し、掲げることで具体的に何が可能になるのか、理解している人は誰もいませんでした。
単にその言葉を口にしていれば「周りから非難されず、非国民扱いを免れる」という一心で、お守りの呪文のように唱えられるだけだったのです。
冒頭で紹介した柳父章は、欧米産の概念が翻訳語として入ってくる際、内容を問わず目新しさだけで流通する現象を「カセット効果」と呼びました。対して鶴見は日本人が「母語」を用いる際にすら、同じ弊害に陥ってしまうことを問題にしたと言えます。
そして2人が指摘した日本人の悪癖は、近年さらに加速しています。
「多様性」と言えば足りる場面で「ダイバーシティー」とカタカナを使うにとどまらず、単なる業務の効率化を「DX(デジタルトランスフォーメーション)」と、わざわざ英字で表記するようになりました。2015年に国連で採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」をもてはやしても、肝心の中身が1972年にローマクラブが提言した「成長の限界」とどう違うのか、本当にその目標は新しいのかを検証する人はほとんどいません。
「LGBTQ+」と呼ぶからには、性のあり方は今後も多様になり続けると考え、「女性に変わったと思ったけれど、やっぱり男性に戻る」といった存在も想定し、承認していかなければならないはずです。しかし、一度でもトランスジェンダーとして「女性」になったのなら、その人は永遠に女性だと断定し、トイレや風呂も全て女性用を使えるようにするのが「意識の高い政策だ!」と(人によっては当事者ですらないのに)叫ぶ例ばかりが、近日は目立ってしまうのが現状です。
そうした人は自分が売り込む「カセット」の装飾を誇るだけで、その中に収められた多様性の内実については、実は考えていないのだと言わざるを得ないでしょう。彼らの用いる一見新しい用語や概念を、事なかれ主義の「お守り」に使うことをやめて、現実に展開した歴史の中で問題の本質を考えるところから、日本を住みよく平等な社会にする道が始まると思います。