第二の留意点は、国のパワーは人口だけで決まるものではないということだ。確かに、人口はパワーの源泉となる。大国の多くは、人口増と経済の高度化とが組み合わさって、国際場裏でのし上がってきた。人口が縮小する中で、経済成長を実現するのは至難であり、社会全体として明るい将来展望を持つのも難しい。
一方、サイズが大きければ、それだけ「食べさせるべき」人の数が多いということでもあり、また、国をまとめることが難しくなる。かつての中国、最近までのインドのように、サイズを国のパワーに転換できていなかった事例にも事欠かない。人口の指標はそのままパワーの指標に読み替えられるわけではない。
移民の表裏一体の影響
第三に、人口の問題では、全体の数(サイズ)以外にも大事なことがある。この論説では、移民の多さを米国の強さとして挙げている。
確かに、中国とロシアでは人口が減少しているのに対し、米国では人口が増加しており、移民はそれを支える重要要因となっている。22年のデータでは、米国は対前年比で126万人の人口増となったが、自然増が25万人である一方、移民増が101万人であった。
移民増は人口をサイズから見れば強みであるが、同時に、政治的・社会的に見れば悩みの種ともなりうる。非白人の比率が高まる中、米国には、自己の国家アイデンティティーをどう捉えるかの問題が突きつけられている。
欧州でも同様の問題を抱えている国は多い。16年の英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)についての国民投票が示した通り、そうした問題は、政権の行方や国家の基本政策をも左右しうる。
そう考えると、人口動態を参照することは重要であるが、そこから決定論的に結論を導くのではなく、あくまでも一つのファクターとして扱い、他の側面も合わせ考えるという当然の姿勢が重要であろう。