2024年7月16日(火)

都市vs地方 

2024年6月10日

 また、本質的には、すべての自治体が同じように若年者を抱える必要はなく、働く場所、余生を過ごす場所といった住み分けの可能性も探る価値があるだろう。財政的な問題もあり、これもそれぞれの地方自治体が独自に模索するのは不可能で、中央政府の主導の下、自治体間で協調して検討すべき課題である。

出生率の決定要因

 近年の少子化問題の議論で、大都市はその出生率の低さのためにある種悪役扱いされてきたが、その低さの原因は注意深く議論されたとは言い難い。ここでは、その原因として考えられるメカニズムを整理しておこう。

 子供を持つ動機には、大きく分けると、成長後に何らかの援助を期待して子供を産み育てるというものと、子供がいることが嬉しいために産み育てるという二つが考えられる。前者は投資としての動機、後者は消費としての動機とみなせる。

 どちらにおいても、子供を産んで育てるためには費用がかかり、それには、教育費用を含む金銭的な費用と、時間や労力をとられるという機会費用(子育てのためにあきらめた事柄の価値)とがある。一方、子供を持つことの利益は、投資と捉えた場合には、子供からの金銭的、非金銭的援助であり、消費と捉えた場合には、子供がいることそのものからの満足や、子供が活躍することからの満足などがある。

 大都市では、子育てするために十分な広さの家に住むための費用も高くなるし、現状では待機児童などの問題から認可保育所に入れる可能性も低いことが多い。これらは子育ての金銭費用を高くし、保育所に入れない場合には夫婦のどちらかが仕事をやめなければならないという大きな機会費用も生じてしまうため、出生率を引き下げる効果をもつ。

 また、大都市では、生産や消費などさまざまな面で人口集中の意図せざるメリット(集積の経済)が生じることが知られている。そのため、地方と比べて相対的に恵まれた雇用機会や消費の機会が、子供を持つことの機会費用を高くし、出生率を引き下げる効果をもつ。同時に、恵まれた雇用機会は金銭的余裕をもたらし、出生率を引き上げる効果も持つ。

 現状では、これらの出生率を引き下げる効果が顕在化し、大都市の低い出生率をもたらしていると考えられる。この顕在化は、大都市に元々いる人の出生率を引き下げる、という形と、もともと雇用機会や消費の機会を子供よりも優先する人を大都市に引き付ける、という形の両方で生じる。

 以上の原因のうち、機会費用の影響を軽減しようとする場合、経済活動の制限を伴わないように注意する必要がある。

 例えば、いまだに日本では、家事育児の負担が女性に偏っているという現実がある。すると、女性の社会進出が進むと、家事育児の機会費用が高くなり、少子化を加速してしまうかもしれない。

 このような場合、少子化を軽減させるために女性の社会進出を制限してはならない。家事育児の負担を女性から取り除くための援助を行うことで機会費用を軽減するべきである。

 他の選択肢が魅力的なので子供を持たない、という場合に、他の選択肢を奪って子供を持つ選択肢を相対的に魅力的にする、という方向ではなく、他の選択肢はそのままで、子供を持ちたくなる方向に向かうべきである。安易な経済活動の制限は、次世代の機会を奪い世代間の不公平を生み出してしまう。

 金銭的費用の影響は比較的政策対応のあるべき方向が見えやすい。子供を持ちたいけれども金銭的に難しいというのであれば、所得補助により対策が可能である。しかし、実際に効果を発揮するほどの補助には多額の財源が必要になる。

 どちらの原因に対応するにしても、少子化対策には万能な起死回生策は存在しない。人口減少を受け入れるか、相当な犠牲を覚悟で対策するかのどちらかであろう。また、対策するとしても、若年世代のみにその犠牲を強いてはならない。


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