2024年11月23日(土)

偉人の愛した一室

2024年7月27日

ひたすら住み心地を
追求した家

 2人が世を去った後の2001(平成13)年から公開された武相荘には延べ90万人以上が訪れている。周辺が住宅地に変わった今も、一帯はかつての風情をとどめ、武家屋敷風の門を入ると、敷地内を涼しい風が渡ってゆく。夫妻の女婿である牧山圭男氏に邸内のご案内を請う。

 玄関を入ってすぐ、土間だったところはタイルが張られ、オンドル式床暖房が備えられた。ここは洋式の居間として使われ、時に客間ともなった。中央に大型のソファセットが置かれているが、かつては英国から輸入された別のものが据えられていた。次郎が吉田に贈り、吉田の死後ここに戻され、いまは吉田の孫である麻生太郎邸に置かれているという。卓上には次郎が読んでいた終戦直後の米国の雑誌や、次郎が愛飲したスコッチウヰスキー、そして正子遺愛のバッグがさりげなくディスプレイされている。

玄関をくぐると洋風のリビングが現れ、雰囲気が一変する。次郎は決まって手前の席に腰かけ、よくテレビを見ていたという。テーブルセットの周りには夫妻の愛用品の他に、吉田茂が愛用していたステッキも飾られている
書籍なども当時のまま残された正子の書斎。壁には正子が崇敬した明恵上人の座禅画がはられている
正子の書斎は本棚に囲まれており、洋書も含めて本がびっしりと並んでいる
展示品の中には、正子の身体に合わせて作られたこだわりのアームチェアも

 框を上がると一転、こぢんまりした部屋は掘り炬燵があり、冬にはここで家族麻雀を楽しんだ。その奥が正子の書斎となる。手前の畳部屋は書棚で囲まれ、奥は6畳ほどの板間、大きな窓の前に執筆用の座卓がそのままの状態で残されている。

 正子は50代を境に文筆業が花開き、仏像や骨董など、古美術評論で売れっ子作家となった。また、ファッションやライフスタイルが、多くの女性の支持を集め、その人気はいまも続いている。

 残る二間、15畳の畳部屋には囲炉裏が切られ、鍋を囲んだり、ゴロゴロしたり、家族の憩いの場だった。もう一方の12畳は床の間のついた簡素な和室で、これは寝室として使われていた。二間とも、別に洋風ではなく、あくまで居心地を求めて造られている印象だ。洋風もよし、和風もよし、2人の心の裡に吹く自由な風を感じたように思った。

 独立を果たした日本は復興期を迎え、次郎は政府の中でこれに関与しつつ、多数の企業の要職についた。大好きな高級外車を乗り回し、社交ゴルフ界をリードするなど、英国貴族のライフスタイルが貴顕たちの目を引く。だが、終戦後の動きや役割については、国家の重要機密でもあり、相当に嫌な思いもしたようで、家族にすらまともに語ることはなかったという。牧山さんはこう話す。

 「自分は吉田の黒子、隠密の行動を人目にさらすべきではないという信念でしょう。マッカーサーを叱り飛ばしたなんて話も伝わりますが、英国仕込みのジェントルマンは、そんな無礼はしません」

 門の外に、かつて次郎の愛車が並んでいたガレージが残る。その風情はどこか、武士が愛馬の轡をつなぐ厩を思わせる。次郎の洒脱と、勝者への反骨を見たように思った。

英国留学前、17歳の次郎が父から初めて買い与えられた米国車と同型の車がガレージで来客を出迎える 

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