例えば、それまでさまざまな州で実施されていたような公共事業を実施したり、複数の州で導入されていた社会保障(年金)を公的に制度化したりすることには成功した。だが、どの州でも実現されていなかった皆医療保険政策を実現することはできなかった。そして、ローズヴェルトの後任であるハリー・トルーマン大統領も国民皆医療保険制度の実現を目指したが、挫折した。
ヨーロッパや日本などの国々が第二次世界大戦の際に国民皆医療保険政策を達成したのとは対照的である。そして、それらの試みを妨害したのは、南部の民主党勢力だった(実は米国の福祉国家の発展を最も大きく制約したのは南部の民主党勢力だったという説も有力である)。
選挙勝利が前提の利益集団
米国では連邦議会の選挙は全て小選挙区で行われ、候補者は選挙区ごとに行われる予備選挙で決定されるため、党本部は候補者指名権を持っていない。南部においては、南北戦争以降、リンカーンの共和党を嫌った人々が多く存在し、民主党に投票した。
その結果、南部の民主党は保守的な性格が強かった。福祉国家拡充の試みが黒人を利するのではないかと考えた保守的な白人が中心となって、連邦政府主導の福祉国家拡充に強く反対したのである。
ニューディール以降、連邦政界では民主党が優位を保った。ニューディールと第二次世界大戦後の経済繁栄を民主党がもたらしたという認識が強くなっていたため、連邦下院選挙で民主党が連勝したためである。
先の共和党について解説した「【Lesson8】トランプ党と化した米国共和党 歴史と現状」で指摘した通り、米国の政党は利益集団の連合体という性格を持っている。そして民主党が圧倒的に優位する状況で自らの利益・関心の実現を目指す集団は、よほどのことがない限り民主党と共闘してその実現を目指すようになる。1960年代には黒人や民族集団、女性や性的少数者(LGBTQ+)などのマイノリティ集団、環境保護集団などが民主党連合に入っていった。
その結果、ニューディール以来、雇用と公共事業、年金を重視していた民主党内で、それ以外の「進歩的な」要求を行う勢力が大きな存在感を示し、リベラルと称するようになった。そして、そのような状況に不満を持つようになった人々、とりわけ南部の保守派がリチャード・ニクソンとロナルド・レーガンの時代に共和党を支持するようになったのである。
民主党はこのような形で発展してきたため、利益集団の連合体としての性格が強く、イデオロギー的信念に基づいて結集しているとはいえないところがある。そのため、劣勢を感じて保守の大同団結を目指した共和党に対し、民主党の下に結集したさまざまな利益集団は、選挙で勝利できることを前提とした上で、利益集団間での分捕り合戦に終始する傾向が比較的強いのである。
それぞれ対立もある穏健派と左派
このような民主党の性格は今日でも続いており、民主党内に穏健派と左派の対立が存在するのは周知の通りである。ただし、穏健派、左派といっても、その内部もまとまっているわけではない。
例えば穏健派の中にも、労働組合を重視する勢力と、ニューデモクラットと呼ばれる勢力が存在する。1992年大統領選挙で民主党候補となったビル・クリントンらはニューデモクラットと呼ばれた。
80年代にレーガンを中心として共和党が影響力を増し、南部を中心にかつての民主党支持者が共和党に投票するようになったのを受けて、大きな政府の立場をとり続けるのは党に否定的な影響を与えると彼らは考えた。経済成長を重視し、時に労働組合と見解を異にすることもあった。これに対し、ヒラリー・クリントンやバイデンは労働組合の立場を比較的重視する政治家として知られている。