薬物療法は気軽なダイエットではない
肥満症の治療薬とそれに関連する臨床研究は、このところかなりの速さで新しいものが発表されているため、家庭医の日常は、適切な情報をタイムリーにアップデートすることに忙しくなっているのが実情だ。特に、以前から2型糖尿病の治療に使用されてきたGLP-1受容体作動薬という種類に属する薬の一つであるセマグルチド(一般名)が、日本でも今年2月から肥満症治療薬としても処方できるようになったことで、肥満症の薬物療法はメディアも巻き込んで社会的に注目度が高まってきている(たとえばNHKの『きょうの健康』)。
ただ、セマグルチドも含めて、肥満症治療薬は単なる減量(いわゆるダイエット)を目指す薬ではない。2型糖尿病、脂質異常症、高血圧、高尿酸血症などの健康障害や内臓脂肪の蓄積がある人に、心血管合併症の発症リスクを軽減するために用いる薬なのだ。
そのため、肥満症治療薬を開始する際には、対象の患者が適応条件を満たしているかを慎重に吟味しなければならない。そして、食事療法と運動療法、行動療法などによる生活習慣の改善は、肥満症治療薬と並行して継続することが必要だ。
副作用についても理解しておく必要がある。たとえばセマグルチドで比較的多く認められるもの(発生頻度が5%以上)には、食欲減退、頭痛、悪心、下痢、嘔吐、便秘、消化不良、おくび、腹痛、腹部膨満などがある。頻度はより少ないが重大な副作用として、低血糖(頻度不明)、急性膵炎(0.1%)、胆嚢炎、胆管炎、胆石症、胆汁うっ滞性黄疸(いずれも頻度不明)がある。
米国食品医薬品局(FDA)は、肥満症および2型糖尿病治療薬に承認されているGLP-1受容体作動薬を使用した患者での自殺念慮(自殺をしようと考えること)および自殺企図(自殺を試みること)の報告(複数)を調査しており、予備的な評価では因果関係は示唆されなかったが、調査は継続中との情報もある。
肥満症治療薬の中には、処方箋なしで購入できる市販薬(Over The Counter; OTC医薬品と呼ぶ)もあり、医療者のアドバイスとフォローアップを欠くことで今後それらによる重大な事故が起こらないかも懸念される。日本で使用できる薬の中には、その効果と副作用について臨床研究のデータが乏しいものもあり、本当に有益性が害を上回るのかは定かではない。注意が必要だ。
減量について伝えるべきこと
こうした事実の概略をT.H.さんの理解を確かめながら説明した後で、私は、T.H.さんの努力によって実際にどれだけ健康増進の成果が上がっているかに焦点を当てた(あらかじめT.H.さんに体重などの数字を話すことの許可を得た上で)。
「1年前、T.H.さんの体重は98キロ、身長は175センチ。そして腹囲は105センチでしたね」
「はい、そうです」
「今日の体重は92キロで、腹囲は100センチでした。身長は変わりません。そうすると……(電卓で計算しながら)この1年で、BMIは32.0から30.0へ、身長に対する腹囲の比は0.60から0.57へ減少しています。これはかなりの改善と言えます」
「本当ですか!」
実際、日本肥満学会による『肥満症診療ガイドライン2022』の肥満度分類では、BMI 30が「肥満(1度)」と「肥満(2度)」の境界であるし、英国の国立医療技術評価機構(NICE)の23年7月に更新された肥満症の同定・評価・マネジメントのガイドラインでは、筋肉量の多い成人を含む男女およびすべての民族のBMIが35未満の人に使用できる分類として、腹囲と身長の比率0.6以上を高度の中心性肥満(内蔵脂肪の増加)としている。だから、今回T.H.さんがBMIが30になり、腹囲と身長の比率がその境界0.6を超えて減少したことは、特筆すべき改善だ。