2024年10月18日(金)

未来を拓く貧困対策

2024年10月18日

 なお、報道件数は13年を契機に減少に転じ、以降は相対的に低調な時代が続いた。

 しかし、筆者は、ここ2年ほどの間に、再び生活保護が報じられる機会が増えてきたと感じている。なぜ、このタイミングで報道件数が増えているのか。これまでの報道とは何らかの違いがあるのだろうか。この点についても、掘り下げて考えてみたい。

悪を見つけて叩く“正義”の報道

 誤解を恐れずに一言で表現するならば、今までの生活保護報道の多くは、「悪を見つけて叩く“正義”の報道」という色彩が強かった。悪代官が市井の人々を苦しめ、そこに水戸黄門が登場して悪人を成敗する。勧善懲悪の物語である。

 悪人として登場するのは、「利用者」と「公務員」である。

 「利用者」を悪人とする報道としては、読売新聞社が1980年に行った「不正受給批判キャンペイン」(命名は、筑波大学の副田義也名誉教授)を挙げることができる。炭鉱の町、北九州市を舞台に連載された一連の報道では、生活保護が反社会的勢力の資金源になっているとし、適正化に取り組む北九州市の姿を描いた。副田教授は、不正受給対策を「実際的効果をあげるための政策の性格より、マス・メディア対策、世論対策の性格がより多くみてとれる」と総括している(副田義也『生活保護制度の社会史 増補版』,p.263)。

 一方で、「公務員」を悪人とする報道の嚆矢となるのは、札幌テレビが制作したドキュメンタリー『母さんが死んだ』である。87年に札幌市でひとり家庭の母親が子3人を残して餓死した事件を通じて、福祉行政の冷酷な対応を描き出した。ディレクターの水島宏明さんは、その後、テレビ番組では描き切れなかった内容をルポ―ルタージュとしてまとめている。(水島宏明『母さんが死んだ:しあわせ幻想の時代に』)。

 生活保護の運用の問題点を指摘するという点では、どちらの報道にも社会的価値があった。しかし、報道は「生活保護=悪」というイメージを助長し、制度を一般の市民から遠ざける結果も引き起こした。

 医療や福祉の専門用語に、「スティグマ」という言葉がある。日本語訳としては、差別や偏見、恥辱観などの言葉があてられる。報道した人たちがそうしたいと考えたわけではないだろうが、メディアは生活保護のスティグマを強める役割を果たしてきたのである。


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