そのヒグマの大量出没を巡る攻防が昨今、知床半島で起こっている。知床半島にはヒグマが400~500頭生息していると推定され、世界でも有数の高密度個体群が維持されてきた。しかし、飽和状態で維持されてきたため、餌不足に見舞われた12年、15年、23年度の3回にわたり、市街地や農地への大量出没があった。
とりわけ23年度は、ハイマツとサケに加えて、ミズナラまでも凶作で、過去最大の大量出没となり、推定生息数の約4割(183頭)が捕殺された。
斜里・羅臼町と、知床の自然を総合的に管理する「知床財団」は2カ月間、24時間で監視・警戒体制をとるなど懸命に対応した。また、児童・生徒・地域住民を対象とした長期にわたるヒグマ学習が功を奏して、奇跡的に人身事故は生じなかった。
しかし、大量出没は、対応にあたる関係者や住民の生命を危険にさらし、社会生活への甚大な影響ばかりでなくヒグマの大量捕殺という、決して望ましいとはいえない結果を招く。人間社会とヒグマの双方に被害をもたらすというリスクを理解したうえで、ヒグマを人里へ誘引してしまう原因(生ごみや身を隠しやすい草やぶなど)の除去などの対策に加えて、個体数管理によって大量出没を発生させない個体数水準を維持することが求められる。
福島は未来の日本を映す鏡
人間の撤退と動物の拡大
東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所事故では、無人化した地域でイノシシが大発生し、放置された空き家はハクビシンやアライグマなどの棲み処となった。年間のイノシシの捕獲数は震災前(10年度)の3736頭から16年度には2万6000頭まで増加し、ニホンジカの捕獲数は10年度の132頭から19年度には1000頭を突破した。人間の撤退とシカ・イノシシの分布拡大および生息数増加は、同時に生じているのである。
この地域で生じている人間の撤退と野生動物の増加は、日本の近未来を象徴する重大な問題である。今後、日本は急速な人口減少を迎えるからである。まさしく野生動物と人との生息地に関して、どのように野生動物と共存するかについて、国民的議論が急がれる。
クマ類・シカ・イノシシなどの大型獣が都市に出没する問題の主な要因は、分布拡大と生息数の増加である。それには二つの背景がある。一つは、1960年代、燃料の主役が石炭から石油、天然ガスへとシフトしたエネルギー革命。もう一つは拡大造林政策により、最近の40~50年間で野生動物の生息地である森林植生が劇的に回復した一方、狩猟者が減少し、捕獲圧が低下したことがある。また、奥山と里をつなぐ河畔林や林地が回廊となり、放棄果樹が大型獣を人間の居住地に誘引していることもあげられる。
2024年7月に発生した滋賀県伊吹山の土砂崩れの遠因は、シカの採食によって裸地となり、森林が保水力を失ったことにあると報道された。下層植生が消失し土壌侵食が進むと、土の中に生息する動物や水中に生息する昆虫類・魚類にまで波及的な効果が生じることが報告されている。
森林生態系は二酸化炭素(CO2)を吸収・蓄積することで気候変動の緩和に貢献すると期待されるが、九州大学宮崎演習林(椎葉村)の山岳林で炭素蓄積量を調べたところ、シカによる採食の影響を強く受けた森林は、そうでない森林と比べ、その量が最大で半減することが報告されている。森林の有する国土保全、水源涵養などの公益的機能は、日本学術会議によって70兆円/年と評価されており、増加したシカがもたらす生態系への影響が危惧される。
日本の森林は1960~70年代の拡大造林で天然林から人工林に転換し、人工林の蓄積は50年間で6倍に増加した。齢級別の人工林面積は、50年生を超える人工林が半分近くを占め、収穫適齢期を迎えている。
しかし、高密度のシカの存在は、伐後の再造林や、湿地・崩壊地など新たに森林を仕立てることが困難な場所において、針葉樹から広葉樹に樹種を転換するうえで最大の阻害要因となっている。枝葉の食害や剥皮被害は深刻であり、シカ対策なしでは林業はなりたたない。