意図的か否かを問わず、外国勢力と足並みを揃え国益を損ねるプロパガンダに加担した政党や政治家もスキャンダル扱いされない。これはマスメディアが自らの掲げる「正しさ」と党派性、依怙贔屓に基づいて世論を形成し社会に影響を与えようとするものであり、客観的事実や民意よりもマスメディアの意向が優先されている状況を意味する。
メディアは民主主義を担う責任を
このように形成された世論が社会にもたらす影響は、過小評価されるべきではない。そもそも、民主主義社会においては国民一人ひとりが情報に基づいた判断を下し、責任をもって社会に参与することが求められる。しかし、メディアが「報道主権」のような独善的立場から「正しさ」を押し付け、客観性や中立性を失った報道を行えば、国民の判断が恣意的に導かれる危険性が高まる。
誘導された不安や世論は客観的事実を覆い隠し、合理的な意思決定の妨げとなる。たとえば最近行われた衆議院議員選挙でも、同じ不記載が特定の候補者では「裏金」と呼ばれ、別の政党の候補者は「不記載」とされた。選挙番組では、候補者に堂々と「裏金」マークまで付けられていた。これらは処理水の「汚染」プロパガンダと地続きの現象ではなかったか。
選挙も弾劾も資格も無いマスメディアの独善、何ら正当性を担保しない「正しさ」が主権者を煽動し、民主主義的な選挙で選ばれた政治家の生殺与奪すら左右してしまう。いわば「報治主義」とさえ呼べるこの状況を放置すれば、我々の社会は実態として事実・証拠主義と民主主義そのものさえ失ってしまいかねないだろう。