2025年3月5日(水)

災害大国を生きる

2025年1月29日

 例えば、全国に約700支部と会員67万人のミゼリコルディア会は、中世のペスト流行期、路上の遺体を埋葬し始めたカトリックの友愛会を起源とするが、市民保護に関わる人が若者を中心に約5万人もいる。

バリッラという企業の寄付で生まれたミゼリコルディア会の大型キッチンカー。1日に1000食を賄える(筆者撮影)
ミゼリコルディア会の若い会員たち(筆者撮影)

また、936支部を持ち、会員50万人のアンパス(全国生活保護連合)は宗教とは無縁の団体だが、その母体は、19世紀に起こったイタリア統一戦線における負傷兵や遺族たちの相互扶助だという。アンパスには市民保護に携わる人々が実に10万2300人もいる。

 さらに、イタリア赤十字や山岳・洞窟救助隊など58の大組織が政府の市民保護局に登録し、各州が3500以上の中小の組織と連携している。

 イタリアで市民保護が活性化する理由の一つが、市民保護法に定められた「ボランティアの有給化」だ。登録ボランティアとしての被災地での活動期間、雇用主は従業員に給料を支払う義務があるが、その費用は国から支給される。日本の場合、ボランティア=無償だが、「被災地には長期的な支援が必要」という考えのもと、国が財政面の支援を行っているのだ。しかも、2018年の改正案では、自営業やフリーランスにも適用範囲が拡大された。

仮設住宅と
再建支援に思うこと

 素早く設置でき、暖房もユニットバスも備えた日本の大手のプレハブ仮設住宅は機能的である。しかし、四角く、画一的で、狭く、どこか冷たい。09年、ラクイラ地震の際にベルルスコーニ首相の肝いりで造られた1万5000人を収容する4490戸の仮設住宅は極端な例だとしても雲泥の差だ。家電もテーブルやソファなどの家具も、食器まで備わり、広いバルコニーにリビングに書斎、大家族にはトイレ2つ、全室から緑が見える。15年後も十分暮らせるが、空き家は市が若い移住者などに安く貸し出していた。 

ラクイラ地震の仮設住宅①(筆者提供)
ラクイラ地震の仮設住宅②(筆者提供)

 

 ただ、イタリアも最初からこうではなかった。1980年のイルピニア地震後の仮設住宅も地域格差が激しく、ナポリ郊外では近年まで壁にアスベストを使った仮設に暮らす地域が社会問題となっていた。

サン・タンジェロの復興住宅。日本の画一的な復興住宅とは比較にならないほど個性豊かだ(筆者撮影)

 しかも、冬の寒さを凌げる家が急務で、冒頭のペルティーニ大統領の演説で、「ドイツやスイスに出稼ぎしてようやく建てたわが家が倒壊し、その前で泣く男たちを目にした」という訴えは海外からの支援も促した。こうして生まれた仮設住宅の多くが、学校や教会、食堂も備えた広々とした木造の仮設住宅だった。

 イタリアでは自宅再建とコミュニティー再生に最低10年かかるという試算の下、仮設住宅は10年暮らせる造りであるのに対し、日本の場合は基本2年と短い。「災害支援法」でも仮設の広さは一人用19平方メートル(㎡)、2~3人の小家族で29㎡だが、ラクイラのあるアブルッツォ州では夫婦は40㎡、4人家族は60㎡、自宅再建にも約75%の費用が支給されたという。


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