一方、「私有財産に公的資金は使えない」という考えが根強い日本では、全壊でも助成金は最大300万円までだ。今、能登で被災者の間に広がるのは、耐震化して自宅を再建したいと考えても、資材の高騰や大工不足から不可能かもしれないという不安だ。大手による復興住宅の画一的な風景が広がる東北の被災地を巡っていると、「創造的復興」の意味を問い返さずにはいられない。
次世代のための
長期的ビジョンの共有
イタリアでの取材中、筆者はイルピニア地震で町が壊滅し、432人が犠牲となったサン・タンジェロ・デイ・ロンバルディという中山間地の町を訪ねた。1980年、テント村で、30歳で市長に任命された女性ロザンナ・レポリが、2023年、73歳で市長に返り咲いた町を見てみたかったからだ。
22年、イタリアの大衆紙『コリエーレ・デッラ・セーラ』紙は、イルピニア地震の膨れ上がった復興予算を巡る汚職や不正倒産を報告した。
当初1万4230人の雇用創出を謳い、268社が75%の助成を受けて復興事業に参入したが、現在は100社ほどが残るばかりだ。被災地への誘致を理由に多額の助成を受けた車のボディーやエンジンを製造する会社が、ヒ素などの産業廃棄物を工場の地下に埋めたことが発覚し、倒産する事件も発生した。一方、レポリ市長が北部から誘致した菓子メーカー、フェレッロは今も500人を雇用する最優良企業だ。
震災から44年、目下最大の課題は「地震より怖い過疎化との闘い」(レポリ市長)だという。戦後7600人の人口が5170人に減少する中での震災被害は東北や能登も同じだ。レポリ市長は現在、企業誘致で雇用を創出、ウクライナやパキスタンなど65人の移民の受け入れなどで3700人まで落ち込んだ人口を4200人に回復。今も宿泊施設を増やし、社会的観光を育てるなど復興の仕上げに力を注いでいる。
地震大国にあってどこに暮らしていても被災地の苦労は他人事ではない。いざという時、自分に何ができ、どんな街を次世代に残したいのか。今こそ、真剣に向き合う時だ。
もちろん、イタリアにも汚職や不正など課題はあるが、日本は同じ傷みを抱えるイタリアに学び、当事者たちの交流が実現できないものかと考えている。