報道された「事実」とフジの「問題」
言論は、事実の確認のうえに論評・批判がなされるものである。新聞とテレビ、ラジオという既存のメディアがときに、事実を誤認することはある。しかし、SNSという新しいメディアがそれに代わるかどうかは、今後にかかっている。先の質問に立った若いフリーの記者の発言は、メディア・スクラムのなかで少し救われたと同時に、新たなメディアの萌芽がでるとすればこうした姿勢のなかにあると思った。
フジテレビの会見における質問者のほとんどが、週刊誌報道が「事実」であることを前提として、経営陣を追及していた。中居氏と女性の示談によって、秘密保持契約によって当事者以外に情報を漏らしてはいけないことも知らない、と思われる質問も多かった。
「中居問題」に関するフジテレビのこれまでの内部調査に関する、説明が丁寧ではなかった。
中居さんと女性を取り持ったとされる社内のA氏が、ふたりのトラブルが起きた日のスマートフォンの通話、SNSの記録などを提出して、当日は関係がなかった。また、中居氏と女性が知り合ったのは、A氏を含めた場の以前にもあった。女性に対する聞き取りをしなかったのは、示談の話が進んでいたことを知ったからだった。
時系列に説明する準備を整えておけば、不必要な会見の混乱は防げた。
この問題ときっかけとなった週刊文春は28日、電子版にて、昨年12月27日発売号で、事件当日「X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた」としていたが、1月8日発売号以降は「X子さんは中居に誘われた」「A氏がセッティングした会の“延長”と認識していた」と修正したとの「訂正」を出した。疑惑の根幹にかかわる部分の修正である。「お詫びして訂正します」と、「訂正」よりもより陳謝の意味が強い。
「中居問題」の週刊誌報道が、フジテレビにもたらしたものはいったいなんだったのか、ということになる。組織ぐるみの問題隠蔽という、レピュテーションの打撃にとどまらず、多くのスポンサー企業のCMを失った。週刊誌とそれを報じた事実を真実と受け止めて、論評を加えたネットメディアやユーチューバーは閲覧数を増やして、収益を得た。
会長の嘉納修治氏と社長の港浩一氏が、今回退任に至った責任とはなにか。コンプライアンスとガバナンスに誤った取り扱いとした経営責任、その結果としてCM収入を大きく失ったところにある。
退任した港社長によると、自らの経営責任は第一に女性社員が中居さんとのトラブルを社内的に気付いた段階で、女性が体調の回復を待って職場復帰したと願っていたために、トラブルの情報について自分を含めた少数に限定していたことにある。第二としては、トラブルを一昨年に知ったにもかかわらず、中居さんの番組を継続した。第三としては、女性を刺激しないことを考えるあまり、その番組の中止を即断できなかったばかりか、情報を少数に限ったために中居さんがスポーツ番組など他の番組に起用したことである、としている。
「楽しくなければテレビじゃない」から転落へ
経営層の退任にまで至った、フジテレビの経営について凋落の可能性が指摘されている。しかし、それはフジテレビの歴史を「楽しくなければテレビじゃない」路線をひた走って、視聴率競争でトップを走った1980年代の残像と、その後いったんはNo.1の地位を取り戻した90年代からの印象論に過ぎない。フジテレビはすでに、幾度も凋落の経験者なのである。
フジテレビが民放キー局のなかで、這い上がった歴史は80年に社長の鹿内信隆氏が退任して、その座を長男の春雄氏に譲ったところから始まる。新社長は、番組の外注を止めた。制作局を新設して、若手を起用した番組作りに邁進する。
81年にドラマ『北の国から』、それまでのコント番組がつくりこんだ形式だったのに、アドリブ的な要素を盛り込んだ『オレたちひょうきん族』、『なるほど!ザ・ワールド』などの新番組を開発。11月には『バレーボール・ワールドカップ‘81』をゴールデンタイムで20日間放送した。
年末年始の視聴率で三冠王(全日=6~24時・プライム=19~23時・ゴールデン=19~22時)となった。翌年には、TBSを抜いて、年間の三冠王となった。さらに、編成部門に権限をもたせる“大編成主義”をとった。それまで制作部門や営業部門の意向を受けてきた体制を変えた。
フジテレビが日本テレビに三冠王の座を譲るのは、なんと12年後の94年のことだった。