一方、大阪市西淀川区役所で生活保護の査察指導員を務める山中正則氏は「自治体の職員は大幅に減らされている。『福祉はお金を生まないから』とばかりに職員の充当が後回しにされたり、体力的に貧している自治体もあるかもしれない」と懸念する。現場が疲弊しないよう、必要な手立ては講じなければならない。
「命の綱引き」を
どう理解するべきなのか
我々国民がこうした問題を理解する上で見逃しがちな視点がある。
前出の桜井氏は言う。
「この10年ほどの間に、『伴走型支援』などと謳い、相談や支援を重視する福祉政策が積極的に取り入れられてきた。このこと自体を全否定するわけではないが、福祉国家の使命は、生活保護などの『制度』で国民生活を底上げすることにある。『伴走』や『寄り添い』などの〝理念〟は、聞こえは良くても本質ではない。
先月27日に最高裁で違法判決が出た生活保護費の引き下げも、そうした時代背景の中で出てきた話であるということを我々国民は理解しておく必要がある」
これまでに見てきたような制度を充実させていく上で念頭に置くべきこととして、冒頭の大山氏は「我々は『人の命とお金のどちらが大事か』という『命の綱引き』と向き合いながら、その都度現実解を探り続けるしかないが、生活保護法は、国民の『生存権』を無差別平等に守るためにある」と解説する。
当然ながら財源には限りがあり、底抜けのバケツのように生活保護の利用者を増やし続けるわけにはいかない。だからこそ、生活保護に至る前の「セーフティーネット」を充実させることは不可欠だ。
だが同時に、国民の生存権を守ることは、いわゆる福祉国家として不変の〝骨格〟である。
それでも、国民の議論の根っこに「これ以上生活保護に依存させるな」という潜在的な意識があることは否めないかもしれない。しかし、国民によるこうした「無言の圧力」によって、本来生活保護で救えるはず、あるいは救うべき人を救えないような社会にしてしまってはならない。
生活保護制度を取り巻く懸念が膨らむことに疑いはない。手をこまねくだけでは状況は好転しない。目前に迫る危機に我々はどう対応すべきか、真剣に向き合う必要がある。

