五十間道と見返り柳
さて、お腹も膨れたところで、つぎは蔦重の菩提寺へ向かうことにしました。吉原神社まで戻り、仲之町通りをまっすぐ東のほうへ歩くと、やがて大きなS字カーブが現れます。ここは五十間道(ごじっけんみち)と呼ばれ、江戸時代は両側に引き手茶屋や小料理屋などが立ち並んでいたところ。蔦重が最初に書店「耕書堂」を開いた場所でもあります。道がS字に曲がっているのは、外から遊郭の様子が見えないようにするための工夫だったと言います。
S字カーブを抜けて大通りに出ると、「見返り柳」と書かれた一本の柳の木が現れました。遊郭から帰る客が、ここで後ろ髪をひかれて振り返ることが多かったことから「見返り柳」と名付けられたそうです。
そこから南東に向かって10分ほど歩くと、蔦重の菩提寺に到着しました。
蔦重の菩提寺「誠向山 正法寺」
寛政9(1797)年に47歳で亡くなった蔦重は、ここ誠向山 正法寺に埋葬されました。当時のお墓は戦災などで失われてしまいましたが、復刻された蔦屋家の墓碑と重三郎母子の顕彰碑が建てられており、誰でもお参りすることができます。参拝客用のお線香が用意されていたので、心ばかりのお賽銭を置いて線香を一本お供えしました。大河ドラマで蔦重を演じる横浜流星さんも出演が決まった際、この墓前で手を合わせたと言います。
蔦重は、写楽や歌麿など数多くの異才を発掘し独特なアプローチで世に送り出した稀代の出版プロデューサー。昨今の出版業界はきびしい時代の波に晒されていますが、偉大な先人の墓前で手を合わせていると、「まだまだやれることがあるはず」という想いが自然と湧いてきました。
