2024年12月22日(日)

オトナの教養 週末の一冊

2014年6月14日

 盛り上がりを見せるサッカーのブラジルワールドカップ。日本代表はどこまで勝ち進むことが出来るのか。開催国のブラジルは優勝できるのかなど興味は尽きない。サッカーを語るとき、一般的にフォーメーションやシステムが話題になることは多い。しかし、そもそもそれらを構成する選手の「個」は、サッカー強国と日本のそれとはどう違うのか。これまで「個」のレベルアップを追求してきた日本代表の本田圭佑選手がインタビューで「少なくとも、今追い求めているのは個ではないと感じていますね」と発言したことも話題となった。自らドイツ10部リーグでプレーした経験を持ち、『メッシと滅私 「個」か「組織」か?』(集英社新書)を上梓したライターの吉崎エイジーニョさんに話を聞いた。

――ブラジルワールドカップが始まりましたが、ワールドカップで優勝経験があるのはキリスト教文化圏の国だけというのをご本で改めて知りました。

吉崎:あまり話題にはのぼりませんが、男子では優勝国だけでなく3位まで調べても、02年の日韓大会で3位になったトルコ以外はすべて欧州や南米のキリスト教文化圏の国で、女子でも唯一の例外であるなでしこジャパン以外はすべてキリスト教文化圏の国なんです。

『メッシと滅私 「個」か「組織」か?』 (吉崎エイジーニョ 著、集英社)

 ですから本書ではすごくシンプルに、どうしてキリスト教文化圏である欧州と南米の国々はサッカーが強いのかという問題を考えてみました。また、僕はスポーツ誌の連載企画で、06年にドイツの10部リーグでプレーした経験があり、そうした中で日本と欧州では「個」についての考え方が決定的に異なるのではないかと感じましたし、それこそがワールドカップ優勝国と日本との違いではないかと考えました。だけれども、これまで日本のサッカー関連のメディアでは、組織論や戦術論といった類のものが溢れていて、個について誰も踏み込んで考えてこなかったのではないかと思うんですよ。

――サッカーでは、よく「個か組織か」のような議論が見られますが、そもそもサッカー強国であるキリスト教文化圏での「個」の対する考え方が、日本のそれとは違うということでしょうか?

吉崎:おっしゃるとおりで、明らかに「個」に対する考え方が違うということです。たとえば、僕がドイツでプレーし始めの頃、試合になかなか出られませんでした。でも、チームのことを考え、試合に同行し応援していたんです。でも、ある日、ゴールキーパーが僕に「なんで応援しているんだ? 試合に出たいなら、監督に出たいと言わないと、応援する立場で納得していると思われるぞ」と言うわけです。日本では、選手起用は監督の聖域で、選手が意見すべきではないという感覚ですから、衝撃を受けました。


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