一つのメールには、モンサントの科学者がこう記していた。「ウィリアムズ博士たちの名前だけ借りて、中身は我々が書けばいい。以前やったようにね」。これは、規制当局が安全性の根拠としていた2000年の「ウィリアムズ論文」が、実はモンサント社員によって執筆され、外部の学者はただサインをしただけだったことを示唆していた。また別のメールでは、IARCの発がん性評価を潰すために、科学者を動員して「抗議の嵐」を巻き起こす計画が詳細に語られていた。
ウィズナーはこれらの文書を「モンサント・ペーパー」と名付け、法廷の巨大スクリーンに映し出した。「陪審員の皆さん、見てください。彼らは科学を追求したのではなく、科学を『ねつ造』したのです」。
18年8月、陪審員は評決を出した。それは2億8900万ドルの賠償金の支払いだった。19年5月、続くピリオド夫妻の裁判では、さらに衝撃的な数字が読み上げられた。
賠償金は20億ドルに吊り上がったのだ。陪審員のメッセージは明確だった。「嘘をついた企業には、倒産するほどの罰を与えなければならない」。
こうしてバイエル側は3件の裁判で負け続け、株価は暴落し、時価総額は買収額以下にまで下がり、「史上最悪の企業買収」という汚名が、バウマンCEOに突き刺さった。この調子で敗訴が続いたら大変なことになる。バイエルは20年に109億ドル(1兆8000億円)を支払って、係争中の12万5000件のうち、75%(9万5000件)と和解した。しかし、まだ3万件の訴訟が残っていた。
バイエルの逆転勝利
壊滅的な状況を打開するために、バイエルは法廷戦略を根本から練り直した。感情的な物語で負けるなら、物語そのものを消し去るしかない。21年、バイエルの精鋭弁護団は、新たな戦術を裁判官に認めさせることに成功した。
それは、裁判を「第1段階の科学的因果関係」と「第2段階の企業の責任」に分離して審議する手法だ。第1段階では、あの忌まわしい「モンサント・ペーパー」の提示は一切禁止される。「メールの内容がどれほど悪質でも、それだけでがんになるわけではない。純粋に科学データだけで判断せよ」という論法だ。
21年に行われた裁判の原告は、小児がんを患う少年エズラ・クラークだった。通常なら、母親の涙ながらの証言で陪審員の同情を誘う最強のケースだ。ところが、二段階審理の壁がそれを阻んだ。
法廷は感情をすべて排除した科学実験室と化し、審議は「この少年のリンパ腫は、統計的に見てグリホサートが原因と言えるか?」という難解な議論に終始し、陪審員は「証拠不十分」としてバイエル勝訴の評決を下した。
次の裁判は、コロナまん延時のため、リモートで行われたため、原告側弁護士は、陪審員に直接語り掛けることができず、その感情を動かすことができなかったこともあり、ここでもバイエルが勝訴した。
3番目の裁判では、「特発性」という医学用語を使った巧みな防御戦術が展開された。「非ホジキンリンパ腫の70%以上は、原因不明の『特発性』です。加齢や細胞分裂の際の不運なエラーで、誰にでも起こり得ます」。バイエル側はこのように説明し、原告のがんが「グリホサートによるもの」なのか、単なる「不運な自然発生」なのかを区別する方法は科学的に存在しないと主張した。
「疑わしきは被告の利益に」。この論理が通り、バイエルは勝利した。こうしてバイエルは9回連続で勝訴することができた。
フィラデルフィアの悪夢
だが、23年後半、戦場がペンシルベニア州フィラデルフィアに移った瞬間、悪夢が再来した。ここは企業から見ると「司法地獄」と呼ばれ、全米で最も企業批判が強い法廷だ。裁判官は、バイエルの頼みの綱である「二段階審理」を認めず、「科学」と「企業の悪意」が同時に審理されることになったのだ。
