2026年1月18日(日)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2026年1月18日

身体は旅の道標であり、心は旅路の舵

 この不安を鎮めるために、私は旅に出ることを決めた。旅は単なる逃避ではない。それは再び自分自身と直面するための時間であり、心の地図を更新する作業である。

 行き先は京都。

 古都の寺社を巡るという単純な計画は、私にとって内面の再構築そのものだ。何百年もの歴史を見守ってきた石畳、静かな庭園、朝の光に溶け込む仏像――それらはすべて、私の心のざわめきに静謐をもたらす。そして私は気づく。

 旅は外側の風景を変えるのではなく、自分の内面の風景を変える行為なのだと。京都の寺院の山門をくぐるたび、私は過去の自分と和解し、未来の自分に静かに語りかける。

「私は今、ここにいる」と。

「今、ここに生きる」という力

 マインドフルネスという言葉がある。それは「今この瞬間」に注意を向ける心の在り方だ。手術への不安は、未来の出来事に心を奪われることで増幅する。しかし「今、ここ」に意識を戻せば、不安はしだいに力を失っていく。

 私は旅先で、朝の静けさの中に座る。冷たく澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、数秒止めてからゆっくり吐き出す。この単純な行為が、私の心を整え、思考を平常へと戻す。

「今、ここで生きている」

──それが私の確かな実感となる。

「平常心」は創られる

 多くの人は、平常心とは「不安がない状態」だと考える。しかし私は違う。平常心とは「不安を抱えながらも、今この瞬間に立ち、歩き続ける意思」だ。それは恐れを否定せず、むしろ認める勇気だ。

 京都での朝、古寺の庭で私はこう考えた。不安は確かにある。しかしそれを「抑え込む」のではなく、「そのまま受け止める」ことが、私の戦い方なのだと。不安は過去と未来を行き来する心の旅人であり、私の歩みを邪魔する存在ではなく、伴走者である。

「旅先」で見つけた静けさ

 京都の石畳を歩きながら、私はこれまでの人生を思い返した。商社マンとして世界を駆け、荒野と砂漠を経験し、静かな村の市場でも交渉を重ねた日々。それらすべての瞬間が、ここへと私を導いた。一見、不安と苦難の連続に見える道のりも、実は「私という存在を鍛える旅」だったのだ。旅はやがて身体の疲れを癒し、心に静けさをもたらす。

 そして私は気づく。不安は決して消えるものではない。しかしそれを抱きしめて歩けるほど、人は強くなれるのだと。


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