「塩つくらないか?」
2015年、台風13号の猛威で先代の塩工房が全壊した。単身女性・還暦超えの先代は、当時20歳だった杉本和将さんに、電話で話を持ち掛けた。
高校時代、杉本さんはバドミントンに熱中。八重山では敵なし。沖縄水産高校の主将として最後に出場した国体では、五輪選手の桃田賢斗さんに初戦で完敗したという。
「燃え尽きてしまって、漠然と東京の企業に入ろうと思っていました」
大潮の海水から5種類の塩を炊き分ける。「まさに手塩にかける作業」と笑う杉本さん(WEDGE)
そんなさなかの、電話だった。
「回答は来月中までにほしい。もしやるなら15年間守ってきたこの与那国海塩を、いずれ君にあげる」
その言葉に杉本さんは揺らいだ。沖縄大学を中退し、自身が生まれ育った与那国島に帰ってきた。でも、「帰ってきてからが地獄でした」。
朝7時から深夜1時まで、働きづめの毎日。ひたすら塩と向き合った。
「怒られるのは理不尽な理由ばかり。『社長になるつもりなら寝ていても経営のことを考えろ』と言われたり……。腹が立って事務所の中で寝た日もありました」
やがて1年がたち、塩づくりを任されるようになったものの、継がせてもらえる気配は一向になかった。
しかし、ある日のこと。おむすび専門店から一本の電話が来た。相手は、創業当時からの取引先だ。
「最近、誰が塩つくってる?」
「僕です。僕がつくってます」
また先代に怒られるかもしれない。そう思った矢先、先代から「あなたに会社を譲ります」と告げられた。その取引先が先代に、「15年間この店の塩を使ってきて、一番おいしかった」と明かしたというのだ。
