なぜ「補助金依存」になったのか
NPOが行政に依存する構造の背景は一様ではない。当初から補助金獲得を主目的に設立される団体もあれば、純粋な問題意識から出発しながら活動継続のために行政依存へと舵を切る団体もある。
しかしいずれの経路をたどるにせよ、行政資金への依存が最も合理的な選択肢として制度的に用意されている事実は変わらない。補助金を狙って組織を作ることが「合理的」である社会とは、すなわち大きな政府が市民社会の資金配分を支配している社会に他ならない。
大きな政府の歴史的帰結と依存の再生産
日本の近代化は明治維新以来、一貫して国家が主導してきた。富国強兵・殖産興業のスローガンのもとで国家が産業・教育・軍事を統制し、戦時体制下では国家総動員法によって経済のすみずみまで統制する仕組みが確立した。
戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の占領改革を経て社会保障制度が整備され、高度成長期には通商産業省主導の産業政策が展開された。給付・保障・調整の三機能を国家が一手に担ってきたこの歴史が、日本の統治様式の根幹をなしている。
この過程で見落とされがちな構造的問題がある。大きな政府は一度確立されると、自己強化的な依存のサイクルを生み出すという点である。
国家が問題解決を独占する→市民の自助・互助の動機が失われる→中間組織が育たない→問題解決をさらに国家に委ねる、というフィードバックが世代をまたいで繰り返されることで、依存は制度的慣性として固定化される。NPO法が制定された98年の時点で、このサイクルはすでに半世紀以上にわたって作動していた。新たに生まれたNPOが補助金依存へと向かったのは、そのような歴史的地盤の上に立っていたからである。
本来であれば職業団体・地域共同体・互助組織が担うべき機能を国家が吸収するたびに、市民が自律的に連帯する動機は失われた。国家と個人の間の空間が空洞化し、そこに事後的に制度化されたのが、行政の補完装置としてのNPOであった。
②制度的環境:寄付文化の不在
この構造をさらに強化したのが、寄付税制の弱さである。アメリカやイギリスでは、個人・法人の寄付に対する税制上の優遇が手厚く、非営利セクターの財政的自立を支える柱となっている。日本でも認定NPO法人への寄付控除制度は存在するが、認定取得の要件は厳しく、制度の普及は限定的である。
ここに大きな政府の財政的支配力の本質がある。国家は毎年度の予算編成を通じて、どの社会的課題に・どれだけの資金を・どのような条件で供給するかを一元的に決定する。この資金量は、民間の自発的寄付が到底及ばない規模である。
結果として、社会的課題に取り組もうとする組織にとって、民間資金の調達よりも行政資金の獲得の方がはるかに合理的な選択となる。市民が社会的目的のために自発的に資金を動かすジェノヴェージ的な「互恵の精神」は、この非対称な資金環境のもとで制度的に窒息させられてきたのである。
補助金依存で根本的「役割」を変える
補助金依存の問題は、財政的な脆弱性にとどまらない。それはNPOの性格そのものを変質させる。
政府から資金を得るNPOは、その資金を出す主体を批判することが構造的に困難になる。行政の委託事業を受けと、委託元が設定した事業目的の枠内で動かざるを得ない。
補助金の条件として「政治的中立性」が課される場合もある。個々の担当者の意図を超えて、組織の論理として「政府に都合の悪い発言を自粛する」インセンティブが働く。
こうして、NPOは問題提起の主体から事業遂行の主体へと変質する。政策の前提を問うことも、予算の配分に異議を唱えることも、政治的論点を公共の場に持ち込むことも、いずれも補助金依存の組織にとってリスクとなる行為だ。ここには民主主義における統治の正統性にかかわる深刻な問題が潜んでいる。
