18世紀ナポリの経済学者アントニオ・ジェノヴェージは、健全な社会の条件として「中間組織」の存在を重視した。国家と個人の間に、職業団体・地域共同体・互助組織といった自律的な中間層が存在してこそ、信頼・互恵・公共的徳性が社会に根付く。国家が直接個人を統治し、中間組織が消滅した社会では、人々は孤立した原子として国家に依存するだけの存在となる。ジェノヴェージがこの警告を発したのは250年前だが、現代日本の市民社会を観察するとき、その洞察は驚くほど鮮明に当てはまる。
内閣府の統計によれば、2024年時点で日本のNPO法人数は約5万団体に達する。1998年のNPO法施行から四半世紀を経て、その数は着実に積み上がってきた。
福祉・介護・子育て・地域活性化・環境保全と、活動領域も広い。表面だけを見れば、日本の市民社会は成熟しているように映る。
しかし、政策形成の場でNPOが政府と対等に渡り合う光景は、日本ではほとんど目にしない。制度設計の議論においてNPOが政府の前提を問い直す場面も、予算の組み替えを迫る場面も、極めて乏しい。欧米の非営利セクターと比べた時、日本のNPOが政治的・社会的に存在感を示せていない事実は、団体数の多さと鋭いコントラストをなしている。
問題は数ではない。NPOがどのような性格で制度に組み込まれているかである。ジェノヴェージの意味での中間組織、すなわち国家から自律し、市民の自発的連帯によって公共的問題に向き合う組織として、日本のNPOは機能しているのか。そしてその問いは、必然的にもう一つの問いへと行き着く。なぜ日本のNPOは、政府から自立できないのか。
「政府の対抗軸」ではなく「行政の補完装置」
日本のNPOの収入構造を見ると、その性格は明らかになる。内閣府の「特定非営利活動法人に関する実態調査」では、補助金や行政からの委託事業収入、指定管理者制度などを主たる財源とするNPO法人が一定の比率を占めている。とりわけ福祉・子育て・地域サービス分野では、行政資金が収入の大宗を占めるケースが珍しくない。
活動領域の分布もまた示唆的である。日本のNPOが集中するのは、福祉・介護・子育て・地域支援といった分野だ。これらはいずれも、本来であれば行政が直接担うか、あるいは民間に委託して代替させる領域である。
大きな政府の財政的支配力は、単に予算規模の問題ではない。国家が特定の社会的課題を「公共サービス」として定義し、その実施主体を資金によって選別する権限を持つ時、民間組織はその定義と選別の論理に服従せざるを得なくなる。日本のNPOが福祉・介護・子育てに集中するのは、市民の自発的関心の反映ではなく、行政が資金を供給する領域への集積にすぎない。
ジェノヴェージが構想した中間組織は、国家の意向に従って動く装置ではなく、市民の自発的連帯から生まれる公共性の担い手であった。その観点からすれば、行政の外注先として制度に組み込まれたNPOは、中間組織の形をまとった行政機構の末端に過ぎない。政府の対抗軸ではなく、行政の補完装置として制度に組み込まれている。それが現実の姿である。
