2026年5月20日(水)

デジタル時代の経営・安全保障学

2026年5月20日

「警察は大きく、自衛隊は小さく」算出方法の問題

 産経報道の数字には、もう一つ看過できない問題がある。算出方法の非対称性だ。警察については、警備部門のうち機動隊だけを除外している。しかし警備公安警察の中で、実際に安全保障やテロのインテリジェンスに携わるのは少数の専従員に限られる。

 所轄署警備課の業務の多くは集会視察や管理者対策、雑踏警備が中心で、国家のインテリジェンスとは性格を異にする。これらを含む数字は、警察の人的資源を過大に見せている。

 主要任務の過激派対策を例にすると、警察庁の「極左暴力集団の現状等」(26年)によれば、過激派は武装闘争を控えており、事件となるのは公務執行妨害や威力業務妨害がほとんどだ。警備・公安部門が対峙する事象は構造的に縮小しており、国民の要望も特殊詐欺対策など生活安全に移っている。

 他方、防衛省・自衛隊については、情報本部、自衛隊情報保全隊、陸海空の情報専門部隊しかカウントされていないだろう。自衛隊サイバー防衛隊やレーダーサイト、潜水艦・哨戒機・電子戦機、偵察隊など「情報戦」を下支えする部隊が漏れているようだ。

 内調が警察は周辺領域を抱き込んで人員を大きく見せ、自衛隊は中核部隊だけに絞って小さく見せた理由はわからないが、戦後長らく続いた警察キャリアによるインテリジェンス支配を継続させるためだと邪推されてもおかしくない。内調のトップ、内閣情報官も警察キャリアの指定席だ。出発点の数字が歪んでいては、その先の議論も歪んでしまう。

 政策と情報の分離――旧軍の轍を踏まないか

 法案の組織設計そのものにも、国際比較の観点から二つの論点がある。

 第一は、現役政治家が情報統括機関の構成員となることの是非だ。情報が政治家の判断に直接さらされれば「情報の政治化」リスクが生じるように見える。ただし、米国の国家情報長官は大統領の閣僚級政治任用ポストで、歴代長官8人のうち現・元議員が3人を占める。英国でも秘密情報部(SIS)・政府通信本部(GCHQ)は外務大臣、保安部(SS)は内務大臣の所管下にある。

 政治任命や政治家による所管・統括は、選挙で選ばれた指導者への民主的責任の担保として、先進国の標準的設計だ。つまり、批判すべきは政治家が関与すること自体ではなく、関与の仕方――すなわち、政策決定機関と情報統括機関の人的・組織的な重複である。

 そこで第二の論点だ。日本案の本質的問題は、政策決定機関と情報統括機関の人的・組織的分離が制度的に担保されていない点にある。国家情報会議のメンバーは首相以下10人で、国家安全保障会議(九大臣会合)は9人だが、そのうち8人が重複しており、実質的に同じ顔ぶれの組織となっている。同じ閣僚たちが、ある日は外交・防衛政策を決め、別の日は情報活動の方針を示し、情報を分析することになる。

 他方で日本と同じ議院内閣制の英国は、政策決定機関と情報統括機関を明確に分離している。首相主宰の国家安全保障会(NSC)が政策決定を担い、合同情報委員会(JIC)は高級官僚が議長を務め、各情報機関の長と関係省庁の事務次官級高官で構成され閣僚を含まない。JICが作成した情報評価をNSCに供給する仕組みだ。

 やはり日本案の閣僚兼任構造は異質だ。ここで想起すべきは戦前日本の失敗である。


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