報告書も指摘するように、老後と死後の課題は一連だ。看取りは、介護など生活支援の延長線上にある。終活が死後のみを対象にするのではなく、人生の終章と深くかかわるものだという、当然の認識、事実と向き合う。それが、死の社会化の第一歩だと思う。
いうまでもなく人は関係性の中に生きている。死はその関係性に大きな変容を迫る。終活には関係性の再認識や「縁」の視点が不可欠だと考える。基本的だが、家族や周囲の人々との対話を通じて関係性を再認識する。同じ合葬墓に入る者同士が生前から交流する「墓友」や、遺産を社会活動に遺贈することで自分の後ろにつながる「命」と関係を築くなどは、血縁・地縁とは異なる、終活が結ぶ選択縁だ。いずれもどう生きてきたか、最期までどう生きたいかを考え、行動することと不可分だろう。
いま国は診療報酬改定や介護保険運用の見直しなどで、医療・看護、介護の在宅化を進める。現在、死者の8割は病院で亡くなるが、「地域」に看取りの場が委ねられていく。
訪問医療・看護の態勢が不十分な地域は少なくない。だが、在宅化は地域の人々同士の関係性を見直し、再構築する契機ととらえることもできるのではないか。お互いにどう支え合うかを終活の一環として位置づける。地域はどこかの誰かではなく、自身が参画してつくるものだ。宮崎県では10年前、一人暮らしが難しく、施設や病院にも入れない終末期の人を地域で支えて看取る場として、民間のケア付き共同住宅「ホームホスピス」を住民らが協力して始めた。全国に広がりつつある。
終活を個人の死への準備にとどめず、生き方や、暮らしやすい社会のありようを考える契機につなげたい。
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