2024年4月17日(水)

経済の常識 VS 政策の非常識

2015年3月31日

 約束のカナンの地では、「その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、息のある者は、一人も生かしておいてはならない。……主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさなければならない」(旧約聖書、民数記第31章)。

モーセが杖を振り上げると紅海が割れ、ファラオの軍に追い詰められたイスラエル人たちは海を渡った(旧約聖書『出エジプト記』) HULTON ARCHIVE / GETTYIMAGES

 コーランには、十戒をはじめ旧約と同じ話がいくつも書かれている。翻訳のせいかもしれないが、旧約よりも残虐さが減少しているようだ。コーラン版の十戒では、3000人の粛清の話はなく、「(金の)子牛を選んだ者どもには、主からのお怒りと現世での屈辱が身に及ぶであろう」と書いてあるだけである(コーラン、184頁)。旧約の神よりも、イスラムの神の方が、「慈悲深く慈愛あつい」のかもしれない。また、神の大量粛清の記述もない。ただし、主のお怒りはかなり厳しいようである。

 これら聖典の記述を字義通りに読めば、ともかくも人類は争い、殺戮を続けてきた存在だと思うしかない。ところが、ハーバード大学の心理学教授であるスティーブン・ピンカーによれば、戦争、内乱、ジェノサイド、粛清、犯罪による死、要するに暴力による死を遂げる人の数は、徐々に減少しており、特に、中世後半から20世紀の間に劇的に減少し、その減少傾向は現代にまで続いているというのである。中世前でも、旧約よりもコーランの方が殺人は少ないから、殺人は減少していたのかもしれない。

 もちろん、絶対数の殺人は必ずしも減少していないのだが、人口が増加していることによって、そのように殺される確率は劇的に減少しているというのである(スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』はじめに、青土社、2015年)。

 ではなぜ、人類は殺し合いを行い、また、殺し合いを減らすことになったのか。まず、未開の狩猟民が平和だった訳ではなかった。彼らは狩場をめぐって争い、殺さなければ殺されるという状況にあった。中世の騎士の時代もそうだ。多くの領土に分割されていた時代、隣の騎士がいつ襲ってくるか分からない状況では、襲われる前に襲うしかなかった。襲う対象は隣の騎士であるとともに、その農民でもある。農民を殺し、その財産を奪えば、武器や兵士の供給力も低下し、敵の力が衰えるからである。ところが、分割されていた領土が一人の王の下に統合されることによって、暴力による死は激減する。王は騎士たちの領土を確定し、その争いを禁じたからだ。


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