功貴には車椅子に座ることだけでも高いハードルなのである。一つの壁を乗り越えたら、また一つ壁が現れる。しかし、こうした気の遠くなるようなステップの一つひとつがグラウンドへと繋がる道程だった。『早くグラウンドに戻って来い。お前が戻ってくるのをみんな待ってるからな』という仲間との絆が支えだった。
少しずつでも車椅子が漕げるようになると、「ここから、ここまで5分以内!」それを達成すると「今度は3分以内や!」と課題が出された。
「タイムをクリアできるとすごく嬉しいんです。先生(理学療法士)は『今は動かなくても、ガンガン動かしていこう』と常に僕が前を向けるように目標を立ててくれて、甘やかさずにラグビー部員として扱ってくれたんです。厳しい言葉を掛けられることもありましたが、そのおかげで落ち込んだりする時期もなく過ごせたのだと思います」
車椅子のキャプテン誕生
2014年3月。ようやく車椅子に乗れるようになり病院から外出許可が下りた。
功貴は常翔学園の試合会場であった摂南大学のグラウンドへ向かった。その後、何度か外出許可をもらって試合会場へ足を運んだ。
功貴が学校に通えるようになり、本格的にグラウンドに戻ったのは、あの菅平合宿から1年2カ月後の2014年10月のことである。功貴にとっては、様々な意味を含んだ長く濃密な時間だったに違いない。全国大会大阪地区予選が始まろうとする、まさに秋本番という季節だった。
その年の常翔学園は、大阪第3地区決勝戦で大阪桐蔭に「12-13」で敗れた。常勝学園はその後新チームに向かって動き始めた。例年であれば野上友一監督がキャプテン、バイスキャプテンと話し合って、次年度のキャプテンを指名する。しかし、この年の決定プロセスは大きく例年とは異なった。
「野上先生から、『誰をキャプテンにするか、おまえたちで話し合って決めろ』と。そうしたら『功貴がええ』『おまえしかおらんやろ』とみんなが言ってくれて、僕にキャプテンが決まりました。常翔学園でキャプテンをやるのは生半可な気持ちではできません。中学からの夢だったからと言っても、覚悟を決めてやるしかないと思いました」