2024年11月22日(金)

サイバー空間の権力論

2016年6月17日

日々成長を求められる労働者

 とはいえ、労働観念は異なれど、フランスにおいても「切断する権利」法案への反対意見が存在する。ひとつは、自分は好きで仕事をしており国家から労働時間について干渉されたくない、といった国家の干渉を否定する意見。もうひとつは、世界中と競争する中、労働時間に関係なく日夜世界中の情報を仕入れて人々と情報交換をしなければ、競争相手に追いぬかれてしまう、といった意見だ。世界を相手にする労働者にとっては、完全にオフの時間をつくることは不可能なのである。

 実のところ後者の意見は、世界を相手に働くグローバル人材のような労働者だけに限定される問題ではない。我々はSNSを通して常に世界中とつながっている社会を現に生きており、日々仕事以外でも人とのやりとりを通して仕事について考えてしまっているからだ。こうした点は日仏でも程度の差はあれ共通している問題であろう。どういうことか。

 「切断する権利」が求められているのは、仕事だけでなく、SNS上などでの人間関係を重視するあまり、身近な家族や親しい友人、地域とのつながりが疎かになることが危惧されているからだ。我々が生きているこの「つながりっぱなしの社会」では、まわりは何をしているのか、職場の人間は自分より多く働いているのか、といったことに気を取られ、自分の人生に真摯に向き合うことが困難になるとされている。

 そしてまわりとの関係切断を、社会は望まない。なぜなら社会が要求するのは、様々なふれあいの中でよりよいアイデアを発想し、労働者として日々成長する人間であるからだ。現在の先進資本主義社会においては、労働者はどのような職種であれ、機械のような存在ではなく、一人ひとりが考え、創造的であること、毎日成長することを求められている。労働者もまたそうした思考を刷り込まれているために、自分の成長とそれによる仕事の成功を求めるのだ。

誰もが成長を義務付けられた社会
ポストフォーディズムとは

 「切断する権利」の行使が困難なのは、我々がつねに「成長することを義務付けられた社会」に生きていることに起因する。ここでは現代社会の経済システムを概観することで、我々に求められている行動規範について考察したい。


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