あえてトランプには触れずに筆をおく
筆者のような世代にとっては、やはりアイゼンハワーが偉大な大統領としての印象が強いようだ。では、筆者はいまなぜ、5人の大統領について書いたのだろうか。次の一節に、その思いをみてとれる。
America’s voters carry the responsibility of choosing the best person to lead our nation, and whoever that person may be, there is one thing for certain: they will face challenges that cannot be imagined at the present time.
As we choose our next commander in chief, we can, and must, learn from the mistakes and successes of our past presidents.
「アメリカの有権者は、わが国を導くのに最善の人物を選ぶ義務を負っている。そして、誰が選ばれるにせよ、ひとつだけ確かなことがある。現時点では想像もつかない困難に大統領は立ち向かわなければならないのだ」
「次の最高司令官を選ぶにあたり、これまでの大統領たちの失敗や成功から、われわれは学べるし、また学ぶべきなのだ」
筆者は第38代大統領(1974-77)のフォード政権の途中、1975年にシークレット・サービスから引退した。筆者はそれ以降の大統領やアメリカの政治について、本書のなかで語ったり批評したりしていない。あくまでも護衛が本分であり政治批評は避ける姿勢が鮮明だ。しかし、この有権者の責任を説く一節を読む限り、ますます劇場化するアメリカの大統領選びの現状を、苦々しく思っているのは確かだろう。特に、トランプ旋風を目の当たりにして、筆者はどう思っているのか。国を背負って苦悩する5人の大統領をそばでみた筆者の胸のうちは想像に難くない。あえて、トランプ現象などにいっさい触れずに筆をおいているところに、筆者なりの現状に対する警鐘が聞こえてくる。
アイゼンハワーが訪日を希望するも……
「ハガティ事件」とは?
さて、日米関係という側面から本書をみると、どういう発見があるだろうか。本書は大統領が外遊した際の、現地での警護をめぐる苦労話が満載だ。しかし、本書ではそうしたエピソードの一例として日本を舞台にした話が出てこない。なぜなら、日本を初めて訪れるアメリカの大統領はフォードまで待たないといけないからだ。フォード大統領が訪日したときには、筆者自身がシークレット・サービスの現場任務からは外れており、本書では日本に関する記述が少ない。アジアでいえば、フィリピンや韓国を訪問したエピソードが豊富なのとは対照的だ。その時代の、アメリカの外交政策における日本の位置を示していて興味深い。